(自然の菌がびっしりとついた麹米)
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「こんなことを言うとキザったらしいかもしれないけど、私は宇宙というのは愛だと思っているんです。経済学にしても、経営学にしても、医学にしても、科学にしても、そういった法則から外れてしまったものは、いつか、みんな底からまるごとひっくり返されてしまうときがくるような気がしてならないんです。
寛容力があって初めて、免疫力というものが生まれてくる。多様性の中から生まれたものの生命力はとんでもなく強いんです。色々なものを受け入れ、認めていくことで、本当の意味での心や愛というものが育つのではないでしょうか」
古い歴史を持つ、とある酒蔵の当主の方の言葉。
僕にとっての愛というのは、なにかを気がつかせてくれるメッセージや信号で、それらは全て自然に生まれる力のこと。つまり、やはりここでも宇宙や量子に繋がってくる。
身の回りに起こる全てのことは、自分になにかを気がつかせるためのメッセージで、必ず意味がある。でも、その意味を正確に感じ取ることができない人は、気がつかないままに死んでいく。
自然を捉える感性が有るか無いか。たったそれだけのことが、道を大きく分けてしまう。
今の世の中、排除の論理が原理原則。
人はいつしか、全てを要るものと要らないものに分別するようになり、要らないものは排除することが当たり前、正義とすらなってしまった。
僕らの生かされている世界において、要るものと要らないものを人間が判断することなど出来ないはずなのに、人間はそれがさも正しいかのように分別をやめることなく、排除し続けてきた。
その結果、現代社会を取り巻く複雑な問題が噴出してきている。
日本酒造りにも同じことがいえるのだという。
米と水、空気中を漂う菌があればできるのが日本酒なのに、今の酒造りは、菌を有用菌と雑菌に分けて、良いとされるものだけを人工的に培養して、必要ないと判断したものは全て悪として排除されてきた。その結果、安価で大量にお酒を生産することができるようになった反面、古来から日本という国の伝統として伝え繋がれてきた文化は消えていく。
全て、明治政府以降。
ありとあらゆるもの、八百万の神と共存して生きてきた日本民族の伝統は、全てあの時代を境に消えていった。人と自然界の接点が消えていった。
もちろん全て必要があって起こったこと。だから、今、そういったものが少しずつではあっても元に戻ろうとする現象が現れている。
ただ、それを取り戻すために必要なのは、全てをありのままに受け入れる人の心。なぜなら、元に戻すというのは、自然との接点を復帰させることなのだから、今まで排除の論理で除外していたものの全てが、実は意味や役割をもって存在していたものだというのを人それぞれが正確に理解していかなければいけない。
NWOにしても、世界政府にしても、国際主義にしても、多様性を奪い去って、全て単一化・画一化するという排除の論理が一貫して流れているじゃない。だから世の中、こういう顛末になっているのだと思う。
排除はなにも生まない。
排除するには、分別するという判断が伴う。
人間の判断である分別は、自然には本来あってはいけないもの。
米と水を放っておけば自然と調和して出来る酒も、なにか(菌)を排除すれば人工的なものに頼らざるを得ない。
そして、分別、排除しようとするのは、いつでも、人の心。自我。
わがまま=我侭っていう言葉があるよね。
自分の我の言うが侭。
自分を全面に押し出すということは、例えば自分以外の他人を排除することに繋がる。そうすると、当然人工的なものに頼らざるを得ない状況がやってくる。結果的に病気になる。
「お前みたいなオレオレ系なヤツは、自然界にはいれてやんないよ」
かみさまはきっとそう言うのだろう。
他人を殺してばっかりで、自分を殺せない人は、やがて自分に殺される。
きっと人間の体を取り巻く問題には、病気とか、薬とか、食とか、そんなものを超越した精神や心の要素が起因することがあるのだと思う。
全ての原因は自我。
それを捨てられるのは、自分で何かに気がつくことのできる人だけ。
誰かになにかを言われたり、教わったりして、自我を修正できるようになる人は、絶対にいない。
全て自分次第。
自分で気がつかなければ、なにも変わらない。
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