2009年3月
そこに人がいなければ
「現代の農業というのは、昨日農業を初めたような人間でも、売られている野菜と同じようなものを、同じ量作れてしまう。農協のいうとおりに耕し、肥料を入れ、種をまき、農薬を撒けば、米や野菜が作れる。それが化学の力だ。
化学の力があれば、本来その土地・環境風土では作れない作物だって、作ることができる。
あの力があってくれたからこそ、我々人類は、あの高度経済成長・人口増加の中でも飢え死にせずにここまでやってくることができたんだ。だから、化学の力で野菜を作る慣行栽培は、この世の中に必要があったからこそ出てきた技術だということを忘れてはいけない。
しかし、化学の力で野菜を作る現場には、人がいない。作業をやっている農家は、ロボットといってもいいくらい、自らの判断を必要としない。
自分が自然農法を始めようと思ったのは、人や心の荒廃がきっかけだ。ほんの数十年前までは、あれだけ純粋な心を持った農家の人間が、あっという間に金を追い求めるだけの、いやらしい人間に落ちぶれてしまった。
自分は、あんな姿で一生を終えるのは、絶対に嫌だと思った。だから、自然農法に興味を持ったんだ。
自然農法は、人が自然の手助けをして、作物をいただくという農業だ。だから、そこに人がいなければ、だめなんだ。」
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「技術や方法論を教える指導だけでは、人は決して育たない。
それなのに、技術や方法論を知りたがるだけの人、教えるだけの人が多すぎる。
情報を入れよう、取り込もうとしたところで、自らが抱えているあらゆるものを吐かなければ、なにも入ってこない。
呼吸と同じだ。
全ては、出すからこそ、入ってくる。
自然農法から学べることは、ありとあらゆることに活かせる感性の部分だ。しかし、技術や方法論ばかりが先行すれば、学べるものも学べなくなる。それは決して、自然に順応した姿では、ない。私は、そう思う」
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久しぶりに、僕が尊敬して止まない、大好きな、とある自然農法家の方とゆっくりとお話することができた。
何度見ても、何度お会いしても、氏は、とにかく、デカイ。そして、経験に裏打ちされた含蓄のある言葉の数々には、自然と体の奥底に染み入るような説得力がある。(その説得力は、僕の稚拙な文章力では表現しきることができない。)
僕にとっての「真なる本物」とは、まさに氏のような人。
レーシングアートの山崎氏と、あの人が、重なる。
全てにおいて、常に冷静な情熱を抱え、淡々と、ありのままの本質に目をむけ、整合性の取れた論理的な思考と、笑顔と冗談を忘れない氏の姿は、既に一農家の領域を凌駕している。本物だ。
山崎さんと出会うことがなければ、今の僕は、絶対にない。
もちろん、氏と出会うことがなければ、今の僕の姿も、絶対にない。自然農法から得られる自然観を腑に落とすことはできなかっただろうと思う。
出会いは、いつでも人を変える。
出会えたことのありがたみは、体の心を芯から暖めてくれた。
氏に暖めてもらった体温は、やがて、僕なりの情熱に、姿を変える。
超怪奇現象?
ここ数日、僕のこのブログエリアに奇妙な現象が起こってる。
僕は今、ココログの有料サービスを受けていないから、必ずトップ記事の最後には、記事内容に合わせた無料広告が表示されるはずなんだけど、なぜかここ数日、その無料広告が一切表示されずに、ココログブログの広告だけになってしまった。他のココログスペースを見てみると、今までと変わりなく、いつもどおりの無料広告が掲載されている。
これまで僕のブログの最新エントリには、当然、これだけ「自然栽培」だの「天然の麹菌」だの書いているから、必ずといってもいいくらいに、ナチュラル・ハーモニーさんのハーモニック・トラストの広告が入っていたわけだけれど、急にそれが表示されなくなった。(個別のエントリにアクセスすると表示される)
読者のみなさんは気がつかれていましたか?
それにしても、なんでだろう。
まぁ大体答えは分かるけど、どこの大手にも必ず創価や統一のカルト連中はいるからねぇ。
とっとと通常通りに戻していただきたいものである。
もう、なにをしたって無駄なことに、いい加減気がついていただきたい。
リチャード・コシミズ新著 「小説 911」
「911という事件は、人々を恐怖に縛り付ける目的も大きかった。本当は、この世の中、最終的にはどこまでいっても一切なにもないし、善も悪も、幸福も恐怖もない。しかし、ユダヤ人の作り出した物質社会の次元には、物事を分別するという形で、それがある。
あの事件は、ユダヤ人以外の人たちを、物質や目に見える世界にだけ縛り付けて、恐怖を植え付け、次元を固定するには、非常にいい手口だったように思う」
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リチャード・コシミズさんの新著 「小説 911」が配本開始。今作は、今まで以上の自信作ということで、相当なリキが入れられているとのことだ。
残念ながら、僕はまだ時間とお金の問題で手に入れられておらず、まだ読むことはできていないけれど、ご紹介させていただいた。
冒頭の台詞は、僕に、善悪の分別こそが、恐怖を生み出す「彼らの大発明」だったということを、たったひと言で僕に教えてくださった、とある方の言葉。あの方の、想像を絶する視野の広大さには、ただただ頭が下がるばかりである。(僕のこんな稚拙なスペースをいつも読んでくださっていて、ありがとうございます)
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911という事件は、恐らくやった側にしてみれば、作戦大成功!という具合だったに違いない。
でも、それは、リチャード・コシミズという一人の日本人が暴れまわる前までの話。
もちろんあの911には、素人目に見ても、明らかにおかしなところが多すぎるし、むしろアシュケナージユダヤハザールの連中があれほどの失態を仕出かしたのは、歴史上もしかしたら初めてではないか、なんて思う。
コシミズさんだけでなく、色々な人たちが、色々な形で911の真相を追究してきたこの何年かだけど、最終的に「純粋水爆」という、彼らがなんとしても隠しておきたかった核の使用を、いとも簡単に(?)見抜いて、それを拡散することができたのは、コシミズさんただ一人。
サーマイトがどうだとか、ジェット燃料のベンゼンがどうだとか、色々な説はあるけれど、それでは、救助に入った消防隊員などの人たちが、立て続けに肺機能障害を起こしていることの説明がつかないだろう。
(そのことについては、小吹さんのこのエントリが詳しい。)
第一、上の画像を見れば分かるように、WTCの倒壊の様子が、核でなければなんなのだ、と僕なんかは思う。
あの事件から、もう8年が経とうとしている。
自然の摂理が用意した2000年という長いの歴史を消化した後、2001年の9月11日に起こったこのヤラセ劇。
僕もあの頃は、恐怖に縛り付けられていたけれど、まさかこの事件がきっかけで、世の中に真実が噴出するとは、夢にも思っていなかった。
コシミズさんや独立党を知ったころだって、「この世の中、お先真っ暗」というネガティブな念しか頭になかった。
でも、気が付けば今、僕はこうしていて、次にくる新しい時代の幕開けを感じることができている。
昨年のほんの数ヶ月の間で、世の中が一気に変わり始めた。
こそこそと隠れていた巨大な権力は、徐々に、闇を奪われ、光を照らされ、白日の元に晒され始めた。
なにが、どう変わるか、分からないものだ。
周りがどうであれ、一本の道筋さえ見据えていれば、それでいいのだ、ということを、改めて教わったような気がする。
田中角栄はユダヤにやられた
コシミズさんのところに、こんなエントリが上げられている。
■ リチャード・コシミズblog : ユダヤ現実論を語ろう ■
「ただ、繰り返し言いたい。田中(角栄)さんも結局はやられた、と。ユダヤに。小沢さんもやっぱりやられるのでは・・・」
動画約20秒のところ。(動画の①と②はコチラ)
田原総一郎は、確かにそうはっきりと言った。それに対して、ユダヤ人人権保護団体(を装った、ユダヤ権力が関わった事件の真相をもみ消すための集団)であるSWCが猛烈に噛み付いている。
http://www.wiesenthal.com/site/apps/nlnet/content2.aspx?c=lsKWLbPJLnF&b=4441467&ct=6823949
僕は、テレビで本当のことが発言されたのを、本当に久しぶりに見た。
随分唐突な流れでの発言だし、「ユダヤに」という部分は聞き取り辛いけれど、この流れでは明らかに「ユダヤ」と言われているとしか思えない。というか、絶対言ってる(笑)
つい、ポロっと本音が出てしまったのだろうか。田中真紀子女史は、慌てて畳み掛けるように言葉を遮っていたけれど、まぁ角栄氏がロックフェラーにハメられたのは事実なのだから、致し方が無い。
SWCだって、田原氏の発言が事実で、ヤバイと思ったから噛み付くわけで、そもそもSWCもADLも、そういうための組織。いつまでも、ユダヤ人はナチスに迫害された可愛そうな民族(?)という設定を保つのが目的だ。
確かにスファラディの人たちは、ナチスドイツに迫害された民族かもしれないけれど、アシュケナージは違うでしょ。というか、そもそもスファラディの人たちを迫害して、イスラエル建国を企てたのはスファラディの仮面を被ったアシュケナージのハザール人、あんたたち自身じゃないのさ、と。
ユダヤ人を迫害したアシュケナージのハザール人が、ユダヤ人人権保護の団体をやっているなんて、お笑い種だね。
まぁいいや。
いずれにしても、時代は既に変わったんだ。
押さえつけていたものが、もうそろそろ押さえ続けられなくなってきているということ。
鈴木宗雄氏の件にしてもそう。
今回の小沢秘書の件にしてもそう。
郵政4分社化見直しの件もそう。
こんな報道は序の口で、これからは、もっともっと、今まで隠され続けていた真実・事実が、堰を切ったように表層化してくる。どれくらいの時間がかかるかは分からないけれど、数百年間溜め込んできたヘドロのような毒液を排出するには、それなりの代償がともなう。
でも、なにも恐れずに、ただそれらを素直に受け入れればいい。
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「ユダヤが世の中を動かしている」
このひと言のイメージは、確かに「陰謀論」というネーミングがぴったりかもしれない。でも、世の中の事象を広くさらってみれば、それが現実の具体像として、くっきりと浮かび上がってくる。
スファラディユダヤを装ったアシュケナージのハザール人が、政治・経済・金融・農業・医療・メディア・宗教を利用して、自分たちの思惑通りに物事が進むように、圧力をかけているのは、事実。現実。
それを陰謀とすることは、現実の事象を判断要素に加えようとしない、空想だと思う。
はてなの大爆笑
小吹さんが掲示板に貼っていた動画が、ツボに入りまくりの今日このごろ。
みなさん、いかがお過ごしでしょうか?
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ということで、計算どおり、はてなの人たちが食いついてきてくれたので、ルンルンな僕。
ちょっと前にも全く似たようなパターンで、同じようなことを書いたけど、 この、はてなブックマークの人たちは、大阪大学にいらっしゃる、熱核融合の権威であり、次世代エネルギの可能性を秘めた、荒田吉明名誉教授を、同じ学内で誹謗中傷(?)を繰り返す、菊池誠さんという方の旗振りのもので、インターネット上を警備している、警備員の人たち。
ちなみに、毎回同じパターンで申し訳ないけれども、菊池誠さんという教授は、↓の動画で見ることができる、「顔つき」、「目つき」、「口調」、「論調」、「身振り」、「手振り」から、どれだけ素晴らしい人格を備えていらっしゃるか、ひと目で分かるほどの立派な科学者さん。
コシミズさんのことを、「コシミズ」と呼び捨てにするほど無礼な、じゃなかった、フランクな方。コシミズさんとは、きっとマブダチなんだと思う。(コシミズさん、毎度ワンパターンですんませんw)
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もちろん旗振りで動かされているであろう人たちはごく一部で、ほとんどの人は、自分の優越感と自己顕示欲という自我を満たすためにやっている。そして僕は、そんな人たちには、大きな感謝の念を抱いている。
なぜならば、彼らの欲求解消と引き換えに、真実・事実に目を向ける人が、増え続けているからだ。
以前、彼らが千島学説=トンデモという論調を喚き散らしていたころの話だけれど、あの騒ぎ(?)のお陰で、数え切れない人が、さまざまなジャンルに取り巻く真相に気がつき始めた。
そのことに関して、「医学に見識がないままに言説を振りまくのは、潜在的な殺人者だ」とか、「こんな殺人行為を見過ごすことはできない」とか、色々な言葉のレッテルを張り巡らせていた人もいたけれど、最終的には、情報を汲み取って、最終的な判断・結論を出すのは、人それぞれだから、僕としては、「なにを言ってるんだか・・」と思っていた。
でも、それを彼らは、自ら恥ずかしげもなく「正義」と呼んでいた。この世の中に、正義も悪もないのに。
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確かに、千島学説に関しては、非常に周到というか、「上手いところ付いてくるな」と思わざるを得ない指摘内容は多かった。
千島喜久雄さんは亡くなってしまっているし、査読論文(笑)はないし、なにせ、体の中の反応のことで、目に見えるサイズの世界の話ではないから、誰もが簡単に千島先生の主張を「証明」することは、まだ出来ていない。
でも、ここ最近のはてなコメントを見ていると、あまりにもレベルが低いというか、程度が知れるというか・・・
「おいおい、そこをそんなに簡単しれっとばっさり斬っちゃって大丈夫なのかよw」と思わざるを得ないコメントばかり。
「天然の麹菌を使った発酵食品はいくらでもある」とか、
「腐敗と発酵は同じプロセスだ」とか、
「じゃあ堆肥できないじゃん」とか、
なんだかもう、どっちがトンデモなのか分からなくなるコメントが増えて、僕としては非常に不満なのだ。結局彼らの大半は、ニセ科学・トンデモという言葉を利用して、「自分」は人よりもよく物を知っている風を装いながら、実は現実を何も知らない「ただの人」だったというのが、露呈してしまったように思う。
とにかくなんでもいいから、感情的に取り沙汰して、総論否定すればいいというやっつけな感じがみえみえ。
今までは、一応、医学とか科学とかに見識があることを前提で、もっともらしい、それらしいコメントが付けていたりしたのに、最近ではもう、なんでもあり。
とりあえず、ニセ科学とか、トンデモとかっていうネーミングをつければ、それでもう満足という手抜き感が手に取るように分かってしまう。
もちろん大半の人たちは旗振りの旗振りに扇動されているだけだから仕方ないとしても、一部の方には、「あんたら扇動のプロじゃないのかよ」とツッコミを入れたくもなる。
目には見えず、一般人がはっきりとした証明をすることができない「腸造血説」をトンデモにしようとしていた動きは、それなりにプロっぽかったけど、なんかもうここ最近はグダグダ。
もっと、それらしい、もっともらしい論調で、僕をトンデモ化して、ガンガン宣伝してもらわないと困る。
なぜなら僕は、肥料も農薬も使わずに作られた野菜が、腐らずに発酵していくという事実を、もっともっと大勢の人にしってもらいたいからだ。
もう一度書いておくけれど、自然の野菜は腐らない。
それは、誰の目にも平等に、現実の現象として、今でも起こっている事実・真実だ。
自然の野菜は腐らない!
僕は今でも、毎週、ナチュラル・ハーモニーさんの宅配サービス、ハーモニック・トラストで、肥料も農薬も一切使わない自然栽培の米と野菜をいただいている。
今日は、そのナチュラル・ハーモニー代表の、河名秀郎さんの新著「自然の野菜は腐らない」を紹介したいと思う。
以前、河名秀郎さんが自費出版(?)された「日と水と土」とは違い、今回の著作は、メジャーデビュー作。非常に統括的・包括的な、まとまりがある、小気味良い作品となっていると思う。
それにしても、「自然の野菜は腐らない」とは、なんとまぁ大胆なタイトルだろうか(笑)
僕も実際にハーモニック・トラストでいただく自然栽培野菜や果物の腐敗実験をやっているけれど、大抵のものは腐らずに枯れていく。もちろんなかには、腐ってしまうものもあるけれど、それは、過去畑に投入された化学肥料・有機肥料の残肥が影響しているからで、完全に肥毒の抜けきった畑で作られる野菜は、必ずといっていいほどに枯れていく。
逆に、化学肥料や農薬をたっぷりと使った慣行栽培や、ワクチンや抗生物質、遺伝子組み換えの作物を食べた家畜の糞尿を使い、使用が許可されている農薬を撒けるだけ撒いて作った有機栽培の野菜は、99.9%%、いやな臭いを発しながら、真っ黒になって腐っていく。
腐る野菜と枯れる野菜。果たしてどちらを食べていきたいかといえば、以前に何度も書いてきたように、僕は後者のものを選ぶ。なぜなら、僕は、枯れていく野菜のほうが「より自然に近い」作物だと思うからだ。
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野生の生き物が「原則として」病気にならないように、野生の植物も「原則として」は病気や虫に食い荒らされることもなく、また、腐敗することもない。(らしい)
野生の動物も植物も、原則としては、自然界の生態系がもたらすサイクル(循環)の中で、日々淡々と営みを繰り返し、生育して朽ちてゆく要素。そこには、健康や病気という分別的な概念が介入する余地はない。(のだそうだ)
中には一部、「原生の植物と、品種改良をされた野菜は全く違う。肥料を与えなくても野菜は育つが、それは残肥があるからで、2年目以降は大きくならずに貧弱なものにしかならない」という、自然栽培の原理原則や理論的な仕組み、自然の摂理の一切を知らず(知ろうともせず)に、無知な総論否定を展開する人もいると聞く。
もちろん、現存する多くの作物は、人間の手を加えられて品種改良されたものだから、生産者という人間の手助けがなければ、育成することは難しいかもしれない。
しかし、原生の植物と、自然栽培の作物の育成過程での違いは、その一点だけで、どちらも自然の摂理とエネルギだけで生育しているという事実は、なにも変わらないのである。
反面、生産者という人間の手助けだけでなく、石油から作り出される化学合成物や、家畜の糞尿、作物の残渣を「肥料」として利用する既存の栽培方法で作られた作物はどうだろうか。
肥料をたっぷりと与えられた作物は、自ら地中深くに根を伸ばして、養分(?)を取り入れる必要がなく、物質に依存する形で育つので、貧弱になる。
虫や病気は、貧弱になった作物から先に、循環作用の一貫として、浄化しようとする。
その、浄化作用を担った虫や病気を殺してしまうのが、農薬。
つまり、腐る野菜の大部分は、本来、栽培過程で虫や病気に浄化されていなければいけない弱ったものが、農薬という人工的な対処療法で延命された結果、収穫後に、カビなどの腐敗菌によって、結局浄化されてしまうという作用なのだ。(ということらしい)
自然のサイクルは、弱ったものや、循環の流れにそぐわないものを優先して、早めに浄化しようとする作用を持っている。人間の体の悪い細胞(例えばガン細胞)などから先に、血液に逆戻りする現象と、ほぼ同じである。
野菜であれ、生き物であれ、全ての自然に反したものは、淘汰・浄化されることで、この世から姿を消していく。
自然の摂理に順応しているものは、自然のサイクルの中で、穏やかに、その最後を迎える。
それが、腐る野菜と枯れる野菜の、違い。
河名秀郎さんの本著は、幻冬舎が出版した、10万部を越えた木村秋則さんの本と共に並べて売られていて、アマゾンでも高ランクに躍り出るほどの売れ行きだという。
興味のある方は、ぜひ読んでみていただきたい。
肥料と農薬を全く使わずとも、立派な姿で、美味しく安全な米や野菜を作ることができる「自然栽培」が、爆発的に広がり、一般に認知されるまで、あとわずか。
全ての準備は整い、事実的・自然的な流れは、もう既に、確実に動き出しているのだ。







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