カルマの消し方
最近、「人はカルマを消すために生まれてきた」という、一風変わったお話を聞いた。
「カルマ」とは一体なにかといえば、自分自身が生まれてくる前に自分で決めてきたスケジュールのようなもののことをいうのだそうだ。
でも、そのカルマを消すには、ひとつだけコツがあるのだという。
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今は2012年の式年遷宮に向けて、日本の八百万の神が動き出している時代。そして、その日本神界(?)と相反するタルムードを発祥とする悪魔崇拝邪教(FRBとかCFR)の連中は、天照が動き出す前に、世界をひとつにまとめてしまおうとして動いている。(これは飽くまでも現状の僕の理解)
そんな時代に生きている僕らは一体なにかといえば、父や母、祖父や祖母、その上の上のもっと上の何百人、何千人という祖先たちの代表として、今を生きているらしい。つまり、今の時代は、これまでの時代とは違って、ある種特別(?)な時期であり、そこを生きている人たちは、それぞれみんななにかしらの役目や役割をもって生まれてきているという考え方なんだそうだ。
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祖先の人たちというのは、肉体を持ない物質的な存在。そして、その存在は、古神道でいうところの八百万の神につながっている。
八百万の神というのは、日本列島を取り巻く自然界のこと。
で、自然界には「善と悪」はないから、八百万の神でもある祖先の人たちは、代表選手である僕らに、「お前とっととカルマ消しとけよ! まだあと6つも7つも残ってるぞ!」とお怒りになっている場合が多いと聞く。
なぜ今この時代に、「カルマ」なるものを消さなければいけないかは、輪廻やらなにやらの、ちょいと難しい話を書かなければいけないから避けるけど、とにかく僕らはそれぞれ自分で決めてきた「カルマ」というシナリオを消去するために生きている。
(ちょっと話が怪しいと思う方もいらっしゃるだろうけど、これは決して「アセンション」とか「フォトンベルト」なんかのお話ではなく、飽くまでもひとつの考え方の指標としての参考程度にとどめて欲しい)
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カルマを消すためには、すべての出来事や結果に対して、感謝することだけでいいんだそうだ。
身の回りに起こることにはすべて意味があるから、例えそれが自分にとって一時マイナスとなるようなことであっても、すべての事象や現象は、自分の後ろに大勢いる祖先の人たちが、「早く気がつけよ!」 という想いから起こされることなので、その人たちに「気づかせてくれるような出来事を起こしてくれてサンキュー」と思えればそれだけでいいらしい。
例えばお金を盗まれたり、肉親を殺されたり、車にぶつけられたりして、それに心から「サンキュー」と思える人っているかな? 思えれば消えるのが「カルマ」。思えなければ消えないのも「カルマ」。カルマが消えないと、今後いろいろな意味で大変らしい。
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(今日は久しぶりに家でゆっくりとくつろぎながら書いているんだけど、お酒が入ってて、自分でも一体なに書いているのかよく分からなくなっている。でも、とりあえず続ける。)
教習所で「ハインリッヒの法則」とうのを教わった方もなかにはいらっしゃると思うけど、カルマ発生の法則は、これとほぼ同一だと僕は考えている。
ハインリッヒの法則に関してはコチラを読んでいただくとして、とにかく僕らが常日ごろ出会う出来事は、すべて祖先の人たちが「自分で組んできたシナリオであるカルマ」を消すために、必死に与えてくれているものだという捉え方ができるらしい。
「楽しいな」と思うことも「むかつくな」と思うことも、実は偶然ではなくすべて必然で起きているとしたら、こんなに面白いことはない。例えどんなこが起ころうとも、「じいちゃんばあちゃんありがとー!」という感じで能天気に受け入れていくことで、ひとつふたつとカルマ(というかノルマ?w)が消えていくらしい。
でも、ひとつだけ注意しなければいけないのは、ハインリッヒの法則と同じで、祖先の人たちが、はじめは小さくて簡単なことで気がつかせようとしているのにも関わらず、「くっそー、なんでオレがこんな目にあわなきゃいけねーんだよ」とか思っちゃったりしていると、祖先の人たちは少しずつ、「こいつはこんな程度じゃ気がつかないから、もう少し大げさな出来事を準備しよう」ということになって、事態は少しずつ深刻になっていくということ。
そして、やがて取り返しのつかない大きな出来事に巻き込まれてしまうそうだ。
でも、最初に書いたとおり、昇天した祖先の人たちは自然と一体化してしまった存在で、善とか悪の分別をつけることはできないから、今を生きている自分自身が、毎日楽しく笑顔でいれば、「あぁあの子はああいう顔をしたがる子みたいだから、ああいう顔ができることをどんどん用意しよう」となるし、いつも、疲れた、むかつくと言いながら、、不安や悩みなんかを抱えて苦しそうな顔をしていると「あの子はああいう顔をしたい子みたいだから、どんどんああいう顔をさせないと」ということで、辛くて苦しいことを用意されてしまう。
祖先は、決して僕らを苦しめようとしているわけではなくて、「とにかく早くカルマを消して欲しい」一身で、必死に訴えかけているだけ。2012年を間近に控えた特殊な時代を生きる代表選手である僕らに、気がつかせようと必死。
そこには善意も悪意もないらしい。
結局のところなにが言いたいかといえば、辛いことや苦しいことがあっても、それらはすべて必ず意味がって起こっていることだから、歓迎的に受けいれて、いつもニコニコ笑って楽しそうに生きていれば、ハインリッヒの法則のような「300:29:1」の「1」の部分に出会わずに、素敵な一生を送れるんじゃないかなぁということ。
どれだけ楽しいことも、どれだけ辛いことも、みーんな日常の自分の受け取り方や心の持ち方が、相乗効果で呼び寄せていることを、肝に銘じておかなきゃいけないなと思う。
むっちゃくちゃに辛いことでも、笑顔で「ありがとう」と言えるようになったとき、カルマは消える。
すべてのカルマが消えたとき、人は本当の意味での自然に近づくのではないかと思う今日この頃。
原因は、いつでも必ず自分の中にある。
敵は外にはいない。
そのことを忘れないようにしたい。
そして僕は、腐るのではなく、発酵する生き方をしていきたい。
分かっちゃいるけど、これがなかなかできないのよねぇ(笑)
【追記】
書き忘れたんだけど、カルマを消せば消すほど、日常に起こってくる現象は小さくなってくるんだそうだ。
だから、「カルマの消し方」を理解した人には、祖先の人たちも安心して、「もう大きなことは起こさなくても大丈夫だな」と判断するらしい。
大切なのは、すべてに感謝だから、恐怖や不安を一切捨てること。
どれだけ苦しくても、その苦しさの意味合いをしっかりと捉えられるようになれば、負の出来事はどんどん減ってくる。
ただし、気がつかなければ、どんどん大きくなる。
面白いよね。
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コメント
こんばんは、お久しぶりですジーク君!
今日、足柄の方に禊(滝浴びの行)に行って来ました!
何かが動き出すから(先生には見えてます、その内容が(笑))、動き出す前に禊をして置きなさいと言う、先生の勅命で滝に打たれてきました!
これもカルマの解消でしょうか、ジーク君(笑)?
そうそう、滝に打たれるのって、楽しいですよ~(^^)!
ではでは!
投稿: ブラック | 2009年6月21日 (日) 22時11分
ブラックさん、お久しぶりです!!
先生というのはリチャードさんのことでしょうか。滝にうたれにいってたんですね。
カルマの解消は、日常的なささいな出来事すべてにいえるんだそうです。
どういう心の持ち方でいられるかがカギで、常に謙虚で、ありがたみを感じられる自然体の姿勢でいられるかが大切なんでしょうねぇ。
今年も残すところ後半分となりましたが、もうじき動き出しますよ。
いや、ホントまぢで。
そのころまでには、お互い、残りのカルマを消しきっていられるといいですね。
投稿: じぃく | 2009年6月21日 (日) 23時23分
じぃくさん こんばんは。
桜の花が散ってしまうと寂しいですが、その後には緑の葉が茂って凄まじくエネルギッシュな姿になりますね。やっぱり彼らにとっては良いも悪いも無いということでしょうか。
う~ん、今回は難しい話ですね。先日のコメントの続きになってしまって申しわけないのですが、あれのベースになった話をさせてください。
時代劇でおなじみの「忠臣蔵」というお話があります。
自分達の君主の仇を討つために「大石内蔵助」率いる47士が、吉良上野介を暗殺しにゆくという話です。美談としても悲劇としても語り継がれています。
当時のサムライにとって、君主に忠義を尽くすことは最も尊ばれるもの、「良いもの」とされたものでした。でも本来「良いもの」であったはずの自我もぶつかりあってしまうとああなってしまう。彼らにとっては良いものであったはずなのに。
いろんなワクを取っ払った大きな調和の中からすると、確かに良いも悪いも無いと思います。でも僕らが直接的に関われる世界はかなり局地的で、その中では、やっぱり「自分にとって良いもの」を選んでいかなくてはいけないことがほとんどです。
だから今の僕には「カルマを消す」というのは物凄く難しいものに感じます。すべてに感謝とまでは、なかなか辿り着けません。
僕に出来るのは、せいぜい「アイタペアペア」。わが故郷、福島県の方言では「さすけねえ」とも言います。
「大丈夫、気にしない」という意味です。
僕はかなりテキトーな「宇宙一のスチャラカ男」なので、よくこういうところに逃げます。だから間違っても、僕のコメントに感銘を受けたりしてはいけません!!。うまくいくものもうまくいかなくなっぞ!!。(失礼)
では、また。
投稿: F4F | 2009年6月22日 (月) 20時30分
>>F4Fさん
どもども、毎度コメントありがとうございます。さくらんぼの木と桜の木は、全く品種が違うそうで、僕も初めて知りました。サクランボはバラ科の植物なんだそうです。
「カルマ」に関しては、なんといいますか、正直なところ僕もまだ上手い表現が見つからないままでおります。
普段僕らの身の回りに起こるあらゆる出来事には、すべて必ず意味があるって、それが完璧な自然の節理だということは以前書いたと思います。もちろん「かがくてきこんきょ」なんてありません(笑)
ただ、自然界には善悪などを真っ二つに分ける「判断」がないので、人間の解釈や都合で、良いこと・悪いことを分ける必要がないのでは、とも思うのです。
また、自然という言葉はものすごく意味合いが広く、幅のある言葉です。でも、そんな自然に向かうことを考え始めたとき、初めて人は答えを見つけることができるのではないかなぁと思います。
文章で表現することはなかなか難しいですが、やはり、全てに意味と有り難味を感じていくことが大切なのではないかなぁと。
「有ることが難しい」と書いて「ありがたい」と読みます。
どんなことでも「当たり前」と思った瞬間に、人は終わりなのかもしれません。
今日も天然酒で酔っ払ってます。いつもすんませんw
投稿: じぃく | 2009年6月24日 (水) 22時44分
おひさしぶりです。感謝して生きるですか。
斉藤一人さんも、同じような事言ってましたが、所詮健康食品を売るための話なのかなぁと思ってました。
じぃくさんが書いていると何か、やっぱりそうなのかなーと思います。
最近煮詰まってたので、これからは少しずつでも色んな事に感謝して生きたいです。
また来ますねー。
投稿: 雷火 | 2009年6月25日 (木) 22時31分
>>雷火さん
お久しぶりです! raikaって雷火だったんですね、一瞬どなたか気がつきませんでしたw
「感謝」という表現をすると、時には宗教チックに聞こえてしまうこともあるのですが、僕がここ1年、自然農法栽培を通じてで学んだ生き方というか、姿勢というものは、「どんなものも当たり前に起こっているわけではなく、しかし、当たり前なんだ」という二重性でした。
例えば、肥料も農薬も使わずに野菜や米ができるのは、自然の節理では当たり前のことです。でも、それを「当たり前だ」と考えてしまう傲慢な人間の姿勢そのものには問題があるのではないかなぁと思うのです。
独立党やユダヤ権力の存在も含め、すべては必ず自然界の節理における必然性に基づいて現れ、動くものです。そこには、本質的な善悪はなく、役割があるというだけのような気がしないでもないのです。
もちろん、小さな視線で見たときと大きな視線で見たときでは、対象に対する解釈や評価は変わってくると思います。狭く見れば、ユダヤ権力は悪で、許せる存在ではありません。
ただ、もっと大きな自然的視野で物事を観察してみると、あらゆるものの必然性が見えてきて、そこには、自分を高めるため(?)の学びが存在していることにも気がつきました。あらゆるもの、あらゆる出来事は、自分にとっての学びの場であると捉えられるようになったとき、「あぁ、有り難いなぁ」と思えるようになったのです。そうしたとき、今まででは決して見えない世界が見えてきたんです。
斉藤一人さんのことは、僕もよく知っています。最近縁の多い方でもあります。でも、まだお会いしたことはありません。
ここ最近、あらゆるジャンルで、色々な方が似たような結論や思想を説かれ始めたというシーンに出くわします。ただ、中にはハメルーンの笛吹きのような人物がいないとも限らないので、やはり最終的には自分の価値観で、なにが自然で不自然かを見分ける洞察力が必要とされてくるのかもしれませんね。
結論が同じでも、そこに到るステップによっては、中身がホンモノかニセモノかが分かれるんだと思います。
投稿: じぃく | 2009年6月27日 (土) 10時50分
私は、シンプルに先祖供養と感謝想起していま~す!
「生かして頂いてありがとうございます」
これからの時代、キーワードは、『感謝!』ですねっ!
また、次回お会いした時にでも、このあたり、掘り下げてみましょう!!
投稿: ララ | 2009年7月 7日 (火) 20時43分
>>ララさん
先日の講演会ではどうもでした! お疲れ様でした。
そうですねぇ、ララさんともまだあまりお話をする時間がないので、いずれゆっくりとお話したいですよねぇ。そのときはどうぞよろしくお願い致します。
カルマの消し方については、現在僕も勉強中(修行中?)です。
頭でわかってはいても、なかなか心と体は動かないものですよね。
感謝すればいいだけなのに、そんな簡単なこともできないのが、僕という弱い人間の存在のようです。
なかなか思うようにはいきませんねぇ・・・(笑)
投稿: じぃく | 2009年7月 9日 (木) 23時16分