肥料をいれなくても、こんなに立派なサトイモが育つ。理由は分からない。でも、せんもんかのみなさんが「ありえない」と言おうが、この事実・自然の節理は、絶対に変わらない真実。

お久しぶりです、じぃくです。久しく更新をしておりませんでした。コメントのレスや、メールへの返信を出来ておらずすみません。かなり心配をおかけしているようですが、僕は普通に元気です。心配かけてすみません。
ここのところ、書きたいことは沢山あって、でも、書こうとする気力と体力にあまり恵まれておらず、もどかしい日々を送っております。
書くことの楽しさや、面白さ。伝えることの大切さや、難しさ。このことを、特に痛感する日々。そして、「自然とは一体なにか?」と、深く、強く、自分自身に問いかけ、投げかける日々。
自然だと思っていたことが、実は自然ではなかったり。
自然を広く捉えているなぁと尊敬していた人が、実は意外と視野が狭く即自的で、僕自身の自然観とは程遠いところにいたりとか。
自然から遠く離れている人のほうが、実は意外と本当の意味での自然を、理屈や言葉、実績や結果ではなく、「生き様」として、さも当然のごとく体現していたりとか。
これまでに出会ったことのない愛情や人情に助けられたりとか。
自分の想像していた以上の懐の深さ・広さで、温かく出迎えてもらえたりとか。
とにかく、ここ最近の僕は、自分自身の判断や解釈の愚かさを、これでもかというくらいに思い知らされている。
苦しかった。やっぱり自然は、やさしいけれども厳しいものだなぁと。
やさしいけど厳しい。けどやさしい。でも厳しい。この、すべてに必ず介在する二重性の狭間で、苦悩する。
「大きく変わるから、『大変』なんだよ」
そんな言葉が僕の耳に飛び込んでくる。なるほど、とうなずけた。いいこと言うなぁ、感謝できた。
ピンチはチャンス。そんな言葉もあるけれど、ここで自分が本当の意味で変われるかどうか。そこが重要だと、自分では思ってる。
前だけを向いて、過去に感謝だけをし、すべてを忘れず、すべてを忘れ、今を生きる。そして、逃げずにやり抜く。
僕は今まで、逃げの人生だった。
わかっちゃいたけど、その事実から目を背けていた。それでもいいと思ってた。
でも、土や風、自然は僕に教えてくれた。今後の時代は、それではダメだって。
わかったつもりで、逃げ続けていた自分の赤裸々な姿を目の前に映し出してくれた。
できるかどうかなんて、今はまだわからないけど、やるしかないんだから、仕方が無い。
人に学ばず、自然に学ぶ。このことの真の意味を、ようやく少しだけわかり始めた。
「これが自然だ」と言っている人に学んじゃダメだったんだ。
自然との対話は、すべて自分の価値観や概念が決めること。
火水と自分との、一対一の会話。
それが、「自然を学び取る」こと。
火水、神に近づくということは、こういうことなのかなぁと、漠然と理解する。
火水、神、自然、宇宙。すべてを理屈でなく、心と感性で捉えていくことが大切だということを知った。
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