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2009年7月

即自じゃ自然は掴めまへん

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 (最近、「クレムちゃんの登場が少ない!」というクレームをいただいたので、久しぶりの画像アップ。でも、写真を撮る時間がないから、昔の子犬時代の画像でご勘弁をw)

 この頃思う。 

 自分の知っていることや体験だけでつくられた価値観では、決して自然を捉えることはできないものなんだなぁと。

 自分の知っていることや体験をもとにして、「これが自然だ」と言葉にしても、結局それは何にもならないんだなぁと。

 だってさ、自然というのはそもそも「すべて」であり、無であり、色のない空虚な法則性のこと。

 だから、人間が「捉えた」ところで、それは飽くまでも人間の解釈や定義に基づいた一定の区切りでしかなくて、それは自然じゃないと思う。

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 自分を中心になにかを観測するのは、即自そのもの。

 即自じゃ、自然は測れない。

 じゃあどうすればいいか。

 僕は、自然を捉える上で一番大切な姿勢は、やはり観念的二重化だと思う。

 観念的二重化なくして、なにかの本質を捉えることはできない。

 量子力学的に考えたとき、答えは、そこにあった。

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そもそも自然ってなんだろう

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 自然って一体なんだろう。

 誰かが「これが自然だ」といえば、それが自然になるのかな。

 僕は違うと思う。

 毎回毎回書いていることだけれど、人間の言葉は、ただの表現の道具に過ぎない。

 人が、「これが自然だ」と言ったところで、それが即自然になるかといえば、決してそうではない。

 僕は、自然は、人間の幼稚で脆弱な言葉や解釈で表現できるほど、狭くもなければ小さくもないと思う。

 自然とは、宇宙の摂理であり、神の所業であり、人間ができるのは、せいぜいその一部を「自然」という言葉と解釈を使って、形而上学的に表現して、自己満足に浸って悦に入ることくらい。

 もちろん、人間の言葉が、絶対に自然を捉えられないというわけじゃない。

 ただ、言葉は飽くまでも言葉。解釈は飽くまでも解釈。

 人の言葉や解釈に「自然」を見出してしまったら、それは、例え本質はそうでなくても、人間信仰と一緒。

 自然や宇宙、神や能力というのは、人それぞれの内に秘められたるものであって、言葉や解釈で定義して縦割りできるものじゃないと、僕は思う。

 「これが自然。あれは不自然」

 自然じゃないものなんて、そもそも存在しない。

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ししとう

 ひょんなこと(?)から、とある方が、自然農法栽培でタネ取り用の野菜を育てている畑を見させていただくことになった。ありがたいことである。感謝。

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 ここんところ、とにかく雑多なことで忙殺されていたんだけど、今日は少しだけ余裕ができたので、久しぶりの畑レポート。

 何度か書いてきてはいるけれど、僕が実践している自然農法栽培は、草も取るし、耕すし、必要があれば機械やマルチシートも使う農業のこと。自給自足に主を置いた、無除草不耕起の自然農ではない。

 僕にとっての自然栽培は、肥料も農薬も使わない=モンサントをはじめとする、アメリカユダヤ国際金融資本に頼らずに、日本国民への食料自給を支える「農業」のことだから、自分さえよければそれでいいという感覚でいるわけではない。

 アメリカの外交問題評議会(CFR)のボスであるデーヴィッド・ロックフェラーの運営する種苗会社モンサント社は、農薬や肥料の需要だけじゃなくて、いのちの根源である「タネ」からの支配を企てているユダヤ系の企業。

 普段野菜を食べているだけだと分からないけど、肥料や農薬を使わずに野菜や米がつくれるとしても、その大本である「タネ」がなくなってしまえば、結局野菜や米はつくれないのだから、とにかく今後は、無肥料無農薬の自然農法栽培を実践すると共に、農家が自家採取をして、「タネ」を守りつないでいくことも非常に大きな課題になってくると思う。

 ちなみに、このししとうが植えられた畑は、その先を見据えた「タネ取り」用の作物がたくさん植わっている畑だ。 

 ししとう以外にも、トウガラシ、スイカ、カボチャ、トウモロコシ、大豆、小麦、コットン、こんにゃくなどなど、実にさまざまな作物が植えられている。

 もちろんF1品種には利点も沢山あるから、否定するわけじゃない。ただ、今後世界は、ユダヤ権力に握られている「タネ」のことも、しっかりと見据えていかなければいけないとも思う。

 でまぁ、今日はししとうの木が大きくなってきたということで、支柱を立てる作業。シコシコと草取りもしてきた。たわわに実ったししとうの実も、タネ取り用の実を残して、山ほど収穫してきた。

 早朝、自分で収穫した野菜を、畑の中で生で食べる! これほどの贅沢はないねぇ。自然栽培のししとうは、すごくみずみずしくて、甘みがあって、ぴりっとした辛味がたまらなかった。

 それにしても不思議なもんだねぇ。

 朝早くにおきて、体動かして作業しているのに、なぜか畑に立ったその日は、一日体の調子が全開というか。疲れているけど、疲れを感じない一日になる感覚。この理屈、頭ではなんとな~く分かっているけど、やはり何度体験しても不思議なものだね。普段手から出しているものを、土からもらっている感覚とでもいうか・・・(笑)

 とにかく、忘れちゃいけないのは、自然や土に向かうこと。今日、ししとうの実を収穫しながら、それを再確認できた。(自然の恵にも感謝しないとね)

 もちろん、畑だけが自然じゃない。むしろ、畑よりも、より自然や宇宙に近いものや場所なんていくらでもある。ただ、畑にしかないおもしろさや自然の要素というのもたくさんあるから、それはそれで、ひとつのエッセンスとして吸収していければいいと思った。

 自然に向かうには、あまり言葉は必要ないのかな。

 自然を言葉にして、至極形而上学的に表現しようとする人も、中にはいなくはないけれど、弁証法的なスタンスを取りたい僕としては、あまりそれはよく分からない。

 でも、自然農法栽培の畑に立てば、ある程度の答えが見つかるような気がした。

 不思議と、元気をもらえた。

 こんな体験をさせてもらえることに、感謝しなければいけないなと、忘れかけていた自分の姿に、後ろから蹴りを入れてみた。

 畑に立つと、必ず風が吹く。

 夏でも、涼しくて心地よい。 

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餓鬼

 小学生のころ、「バカっていったほうがバカなんだよー、イーだ!」なんていう、幼くも不毛なやり取りをしたことがある人もいると思うけど、最近僕はこのことの意味がなんとなく分かるような気がする。

 昔、音楽で随分とお世話になった人には、「自分よりも若い人をガキなんて呼んでるうちは、まだじぃくがガキなんだぞ」と言われたこともある。

 僕はほんの数年ほど前までは、今の姿形(?)からは想像ができないほどに荒くれていて、とにかく口も目つきも態度も人間性も悪かった(と自分では思ってる)。自分より年下の人間を、「このクソガキが!」なんて罵ったことが何度もある。(ホントすんません。懺悔します)

 でも、ここ最近、ふと、その先輩の言葉を思い出したときに、「そういや最近、年下の人に、「ガキ」というイメージを浮かべるようなことがなくなったなぁ」と気がついた。多分、人間の本質は年齢が決めることではないということが、ようやく少しは腹に落ち始めているからだろう。相手が年下だろうと年上だろうと、目上だろうと、他人だろうと、僕は常々フラットに接していけるよう心がけてはいる。

 とまぁ、こんなことどうだっていい僕の個人的な価値観なんだけど、つい最近、人から「ガキ」と呼ばれることがあった。

 でも、その人の言い分を冷静に、論理的に、倫理的に分析していくと、現状の僕にとって、その人が非常に幼く見えてしまった。なんでかはよく分からない。

 僕が普段よく使う表現では、「即自的」というか・・・

 久しぶりに、人から「ガキ」と言われたことで、「あ~、あの先輩が言っていたことの意味はこういうことだったのかぁ!」とヒザをポンっと叩くことができた。

 おかげさまだ。

 人には人なりの人生観や価値観、自然観というものがあって、それが仮に自分のもっているそれと相容れないものだったとき、それを否定するのか受け入れるのかが、即自と対自の分かれ目。

 いつも書いてるけど、結局人間が使う言葉なんて、オブジェクトを一時的に表現するための道具でしかないのだから、その言葉をどれだけ使っても、残るものはなにもないということが分かったものが、対自だと僕は考えている。

 別に、自分で考えられるようになったわけじゃない。これは、森博嗣さんから教わったこと。

 僕は、唯物論に終始しない本来の弁証法的な思考で、物事を判断していきたい。

 ただそれだけのこと。

 

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独立党と自然農法栽培

 肥料も農薬も使わずに、すくすくと育ちはじめた自然栽培のコットン。野菜の安心安全だけではなく、着るものの素材にもこだわりたい。

   Koton  

 使い古されたフレーズではあるけれど、縁とはなんとも不思議なものだ。

 独立党を通じて、自然農法栽培の存在を知り、いよいよ自分で自然栽培農家として営農してゆこうとする党員の方が現れた。

 しかも舞台はヨーロッパ。もしかしたら一時、僕と一緒に畑に立つ日が来るかもしれない。

 自然農法を知った上で、独立党に入ってこられた方もいる。

 衣食住の神であるスサノオノミコトの膝元 出雲の地で、自然農法栽培に取り組んでいる党員某さんとも、僕は偶然にも縁があり、以前たまたまお会いすることができた。

 それに加え、もう10年以上も前に僕と深い縁のあった友人と、偶然自然栽培を通じて、1年前に劇的な再会を果たした。はじめは友人としての交友を深めていただけだったのに、いつしか彼も、僕と同じ自然農法栽培の道を歩むことを決意した。

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 先日、そのうちの二人と、じっくりと話をする機会があった。(もちろん、時間も場所も違うけれど。あと、近々僕もスサノオノミコトには、ご挨拶をしにいかなければいけないなぁと)

 独立党員や、深い縁のある友人とは、やはり腹を割って本音を語れる。そのことの安心感やうれしさ、充実感を感じる時間だったわけだけれど、とにかく、肥料も農薬も使わない自然農法栽培は、国際金融資本、そして、世界中のタネを支配するモンサント社の大ボスであるロックフェラー財団と、日本が対等に渡り合う力を持っている農業だけに、そこに関わろうとする人たちの「本気」は尋常ではない。僕なんて、到底及ばないほど。

 とにかく、時代、そして、流れは変わってきている。これだけは間違いない。

 2年ほど前に、僕が独立党の勉強会で「食糧自給率120%」を唱え、コシミズさんから「意味が分からない」と言われていたあのころが懐かしいほど、すべては大きく変わりつつある。

 この縁、この流れ、この時代の勢いを無駄にしないため、自分には一体なにができるのか。それを考える日々。

 今後数十年で、肥料も農薬も使わない自然農法栽培は、世界にとって絶対に欠かせない農業の理想的な形であると、僕は確信してる。

 それは、ただ単においしいくて安全な野菜や米をつくるとか、そんな単純で簡単なことじゃない。

 食糧とタネは、政治・経済、ひいては人類を支配するほどの力をもつ、人類にとって絶対に欠かせないもの。

 今、世界のほとんどの政治経済、食、医療、エネルギを支配するユダヤ国際金融資本CFRは、敵ではないけれど、僕ら日本人にとっては最大の敵であって、でも敵ではなくて、味方でもあり、でも、やはり世界の表舞台からはご退場願わなくてはいけない、悲しい存在。

 彼らにご退場願うためには、やはり、食と健康、エネルギ的な自立化が必須事項のひとつ。

 ユダヤ権力の本質を知らずして、自然農法栽培のひとつの本質は、語ることはできないと、僕は思う。

 この縁、無駄にはしない。

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「自然」は人間の言葉や解釈で捉え表現できるものではないかもしれない

肥料をいれなくても、こんなに立派なサトイモが育つ。理由は分からない。でも、せんもんかのみなさんが「ありえない」と言おうが、この事実・自然の節理は、絶対に変わらない真実。
  Satochan

 お久しぶりです、じぃくです。久しく更新をしておりませんでした。コメントのレスや、メールへの返信を出来ておらずすみません。かなり心配をおかけしているようですが、僕は普通に元気です。心配かけてすみません。

 ここのところ、書きたいことは沢山あって、でも、書こうとする気力と体力にあまり恵まれておらず、もどかしい日々を送っております。

 書くことの楽しさや、面白さ。伝えることの大切さや、難しさ。このことを、特に痛感する日々。そして、「自然とは一体なにか?」と、深く、強く、自分自身に問いかけ、投げかける日々。

 自然だと思っていたことが、実は自然ではなかったり。

 自然を広く捉えているなぁと尊敬していた人が、実は意外と視野が狭く即自的で、僕自身の自然観とは程遠いところにいたりとか。

 自然から遠く離れている人のほうが、実は意外と本当の意味での自然を、理屈や言葉、実績や結果ではなく、「生き様」として、さも当然のごとく体現していたりとか。

 これまでに出会ったことのない愛情や人情に助けられたりとか。

 自分の想像していた以上の懐の深さ・広さで、温かく出迎えてもらえたりとか。

 とにかく、ここ最近の僕は、自分自身の判断や解釈の愚かさを、これでもかというくらいに思い知らされている。

 苦しかった。やっぱり自然は、やさしいけれども厳しいものだなぁと。

 やさしいけど厳しい。けどやさしい。でも厳しい。この、すべてに必ず介在する二重性の狭間で、苦悩する。

 「大きく変わるから、『大変』なんだよ」

 そんな言葉が僕の耳に飛び込んでくる。なるほど、とうなずけた。いいこと言うなぁ、感謝できた。

 ピンチはチャンス。そんな言葉もあるけれど、ここで自分が本当の意味で変われるかどうか。そこが重要だと、自分では思ってる。

 前だけを向いて、過去に感謝だけをし、すべてを忘れず、すべてを忘れ、今を生きる。そして、逃げずにやり抜く。

 僕は今まで、逃げの人生だった。

 わかっちゃいたけど、その事実から目を背けていた。それでもいいと思ってた。

 でも、土や風、自然は僕に教えてくれた。今後の時代は、それではダメだって。

 わかったつもりで、逃げ続けていた自分の赤裸々な姿を目の前に映し出してくれた。

 できるかどうかなんて、今はまだわからないけど、やるしかないんだから、仕方が無い。

 人に学ばず、自然に学ぶ。このことの真の意味を、ようやく少しだけわかり始めた。

 「これが自然だ」と言っている人に学んじゃダメだったんだ。

 自然との対話は、すべて自分の価値観や概念が決めること。

 火水と自分との、一対一の会話。

 それが、「自然を学び取る」こと。

 火水、神に近づくということは、こういうことなのかなぁと、漠然と理解する。

 火水、神、自然、宇宙。すべてを理屈でなく、心と感性で捉えていくことが大切だということを知った。

 

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そこに「愛」と「真実」はあるか

  Mizutama

 「結局のところ、不自然なものなんてなにひとつとしてないし、すべてが自然のもの。ただ、その中で人間が、なにを選択していくかが大切なんじゃないかな。」

 都会を離れて、田舎に引き込み学んだ「自然観」。

 田舎を離れて、都会で過ごした数日間で思い出した「忘れかけていた大切なもの」。

 人間というのは、結局のところ無いものねだりのワガママな生き物でもあり、常にその両端、いや、自分という中心点から一定の距離にある定点のあつまりであるところを行き来して、「自分」という本来あるべき姿を少しずつ理解していくもの。

 「これが自然だ。」

 言うのは簡単だ。

 でも、これが自然で、あれは自然ではないのかといえば、僕は、決してそんなことはないと思う。

 すべてが自然だ。どちらも自然だ。

 自然の節理や宇宙の法則というのは、常に大きなものでしかないのだから、自然でないものなど、そもそもこの世の中には存在しない。

 確かに、人間の小さな視野で捉えたとき、自然ではないように錯覚するものも、世の中にはたくさん溢れてる。でも、その「不自然に見えてしまうもの」の本質は、常に「自然」でしかないということを忘れてはいけないと思った。

 これが自然。あれは不自然。

 そう二つに割って判断すること自体、本質を逸脱している。善悪を分別し、民族を分断し、恐怖と支配をつくり出したユダヤ権力と同等の思想。

 その根底にあるのは、ただの「カルト思想」。

 冗談じゃない。

 僕はただの普通の人間だ。

 そして、ただの普通の独立党員だ。

 自分なりでもいいから、物事は、常に分析的に見ていきたいと思っている。

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リチャード・コシミズ&独立党 7.04池袋講演会

 ・・・ということで、リチャード・コシミズ&独立党久方ぶりの講演会が開催された。当然僕も、久しぶりにコシミズさんを撮影できるということで、張り切って行って参りました。

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 今回の講演会のテーマは「郵政民営化」。田布施町にある朝鮮人部落出身の在日朝鮮人 小泉純一郎と竹中平蔵が仕組んだ郵政民営化は、日本人が汗水たらして必死に働いて生み出した貴重な350兆円という大金を、アメリカ国際金融資本であるデーヴィッド・ロックフェラーに献上するための許しがたい愚政策だった。

 でも、いよいよ時代も変換・変革の時機。世界はこれから数年をかけて、溜まりきった毒素をド派手に浄化し始める。

 これは、何十年も前から決まっていた自然の「流れ」なのだ。

 もう、誰にも止めることはできない。

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 今回のゲストは、そんな「郵政ユダヤ化」に反対し、造反議員として北朝鮮人 小泉鮮一郎に自民党から排除された小林興起(こばやしこうき)氏。

 『主権 在米経済』という著書を書かれている小林こうき氏は、言わずもがなで、独立党とリンクした方でもある以上、今回の選挙で国会に戻ってもらわなくては困る存在であるだろう。

 くだらないスキャンダルで小林氏を引き落とそうとしているマスメディアもあるようだが、日本の政治家として、日本の国益を考えた場合、郵政ユダヤ化に反対するのは当然のことで、そんな稀少な政治家である以上、独立党は支援する。

 日本という国家が、ユダヤ国際金融資本の手先である北朝鮮カルト宗教に乗っ取られたハリボテ国家であることを熟知している真っ当な政治家が、少なくても確実にいるんだということが分かっただけでも、僕は幸せだ。

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 がっちりと握手を交わす小林興起氏とリチャード・コシミズ氏

 それにしても、まぁ、コシミズさんと独立党もいよいよここまできたんだなぁという感慨深い想いで胸いっぱい。

 コシミズさんや小吹さんはもちろん、党の中心メンバのみなさんや、ご来場いただく方など、全体的な印象や空気感が1年前とは随分違うというか・・・言葉では上手く表現できないんだけど、存在性としてのなにかが違う。やはり次のステップに来たというか、ね。  

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 反ユダヤ国際金融資本という、真の日本人として当然の姿を貫き通す人たちが、それぞれの想いをもって、少しずつ動き出している昨今。

 2013年に向けての自然のつくり出す壮大な流れは、まだまだ始まったばかりではあるけれど、本番はこれから。

 時間は限られているけれど、時間はまだある。

 これから数年で、世の中がどう移り変わってゆくのか。以前の僕は、そこに計り知れない恐怖ばかりを抱いていたけれど、今は今後の世界的な展開が楽しみで仕方が無い。

 まぁ大体どうなるかは、なんとなーくだけど分かってきたし、今後自分がどうなってゆくかも、既に理解消化済み。

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 司会を務めた独立党の顔 小吹伸一 氏

  ここのところ書いているけれど、ユダヤ権力の存在は、大きな自然の流れや摂理をもとに考えれば「必要悪」であり、憎むべきではなく、感謝すべき存在。

 ただし、現実の小乗的な視野でみたときは、絶対に許すことのできない「悪」の存在。

 独立党のみなさんには、この不思議な二重性を腹に落とし込んでいただければと思っております。

 それを理解した上で、現実に起こってきた事実事象に色をつけず、正確に、冷静に、理性的に伝達する行為は、今後とにかく大きな力になるはずです。

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僕と・・・

 握手!(略)

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