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2009年8月

一日が経って

 【独立党のみなさまへ】 

 自民公明両党大敗北という歴史的な瞬間に立ち会えた感動と興奮が冷め遣らぬまま、ようやく一日が経ちましたが、まずは、小林こうきさんの当選を、心より祝福させていただきたいと思います。

 そして、リチャードさん、小吹さん、党員のみなさん、本当にお疲れ様でした。

 正直なところを申しますと、僕は昨日、自宅へ戻り、普段は絶対につけないテレビをつけ、開票の途中結果を目にした瞬間、うれしくて涙を流しました。うれしくて涙を流したのは、人生で初めてです。

 

 

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平成二十一年立替

 【 祝 自民・公明ユダヤ政権完全崩壊 】

 久しぶりにテレビをつけて驚愕した。

 自民 61

 公明 11

 民主 253

 目を疑った。でも、いよいよ時代が変わりはじめたのだろう。国賊が次々とその姿を消していく様は、感動的としかいいようがない。

 これまで、非常に長い間、ユダヤ国際金融資本の傘の下、悪行の限りを尽くしてきた北朝鮮与党が、恐らく今回の選挙で完全に崩壊した。

 小泉・竹中の北朝鮮政権からはじまった、郵政ユダヤ化、三角合併などが、すべてユダヤ国際金融資本指示のものであり、米国主導の狂った政治が行われていたことに、多くの国民が気がついた結果だろう。

 リチャード・コシミズ&独立党が支持する小林こうき氏も、ほぼ当選確実とのこと。

 はじまる。

 平成の立替。世の立て直し。

 大洗濯、大掃除のはじまりじゃ。

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神の存在

 

 今日も自宅に帰りメールをチェックすると、独立党員のOさんからメールを頂戴していた。

 以下は、メールに記載されていた小林正観氏の話。

 Oさん、いつも本当にありがとうございます。メール返信できておらずに申し訳ありません。

 僕のつくった(?)野菜、届いてますか?w

 

(以下引用)

キリストの生涯
 
 ある年の12月24日の深夜に『キリストの生涯』という、長時間のテレビ番組が始まりました。
 私は、どの宗教にも属していませんし、どこからも教えを受けたことはありません。しかし、お釈迦さま、キリスト、マホメット、ソクラテス、プラトン、モーツァルトのような人の生き方や生涯には、とても興味があります。だから、そのようなテレビ番組があると時間の許す限り見るようにしています。
 ヨハネは洗礼を与える人なので、『バブテスマのヨハネ』とも呼ばれていました。このヨハネはキリストが現れる10年も前から、「そろそろ、私たちの目の前に救世主が現れる」と言い続けていました。
 あるとき、川の中にジャブジャブ入ってきて、「私も洗礼を受けたい」と言った青年を見た瞬間にヨハネは、「あなたこそが、私たちが求めていた救世主である。私は、あなたの弟子になる」と言います。
 ヨハネは、洗礼を授けた上でへりくだって、キリストの弟子になりました。ヨハネを信仰して尊敬していた人たちは、ヨハネがそう言うのだったら、この人が救世主なのだろうということで、一挙にキリストの弟子が増えました。
 
 お釈迦さまの十大弟子の一人に『智慧第一』と称される舎利子がいます。この舎利子は250人くらいと一緒に人生を語る導師のもとで勉強していました。
 お釈迦さまの弟子であるアッサジ比丘が辻説法をしているときに、舎利子が通りかかって、お釈迦さまはすごいことを言っていると感じます。それで道場に帰って、荷物をまとめ始めました。
 それで、「舎利子さん、あなたいったい何をやっているのですか」と一緒に合宿していた人に言われます。舎利子は、「私は、今までこの師匠のもとで何年も修行をしてきましたが、わからないことがたくさんありました。でも、今、そこで聞いてきたお釈迦さまの話は、私にとってものすごく衝撃的で、わからないことが全部解き明かされました。それで、これから私はお釈迦さまに弟子入りをするのです」と言いました。
 
 そのときに、その250人は、「あなたがそう言うのだったら、私たちもついていく」と言って、お釈迦さまの弟子になりました。
 
 大迦葉、中迦葉、小迦葉という迦葉三兄弟も、1000人ほどと一緒に道場で人生について勉強していました。そして、その迦葉三兄弟がお釈迦さまの話を聞いて、「この人はすごい人なので、私たちはお釈迦さまの弟子入りをする」と言ったところ、この1000人もついてきました。
 結局、お釈迦さまは自分で弟子を集めていないのに、いきなり1250人の弟子持ちになってしまったのです。
 このようにすごい人というのは、自分が一人ひとりをピックアップして人を集めていません。ものすごい能力の高い人が、そのグループを連れてドーンとくるという歴史的な現象があります。
 もし、そのような現象がどこかにあったら、その人は500年、1000年後にものすごい宗教家になっているかもしれません。
 
 キリストは、ヨハネから洗礼を受けてから、わずか5年ほどしか活動していません。そして34歳で十字架にかけられました。
 キリストは、32歳くらいのときに弟子と岩山を歩きながら、このようなことを言います。
「許すものは許される。許さぬものは許されない。裁くものは裁かれる。裁かぬものは裁かれない。これを自分の心の中に充分に埋め込みなさい」
 
 この言葉を聞いた瞬間、私はベッドから転げ落ちてしまいました。
 
 私は、48歳のときに『うたしごよみ』という日めくりカレンダーを作りましたが、これには宇宙の大法則を31個書かせていただいています。それは、48年間誰からか教わったものではなく、自分の人生でやっと到達した結論でした。
 その結果の中の一つとして、
 
 『大法則』
宇宙の大法則。
投げかけたものが返ってくる。
投げかけなければ返らない。
愛すれば愛される。
愛されなければ愛されない。
嫌えば嫌われる。嫌わなければ嫌われない。
 
 という言葉を書きました。
 私が48年かかって、やっと得られたその言葉を、キリストは何と32歳で言っているのです。私はクリスチャンではないし、日曜学校にも行ったことはありません。キリストが、このようなことを言っていることを、初めてそのときに知りました。
 
 そして、ものすごいショックを受けました。キリストはまだ青年の域を脱していない32歳です。この人生の経験量でこの宇宙の鉄則に至るには若すぎると思いました。普通の人であったならば、知能指数が200であろうが300であろうが、この鉄則に至るわけがありません。
 唯物論として言いますが、この言葉を聞いた瞬間にキリストは神の子だったのだ、と思いました。キリストは、この宇宙の方程式を神から教わっていたのでしょう。
 
 私自身と照らし合わせて、「わずか16年の違いじゃないですか」と言われる方がいるかも知れません。
 これは、単に16年の違いではありません。例えば、今、40歳だとすると、40歳までの情報量・経験量・知識量と41歳のときの1年が同じ重さ。その1年が膨大なる内容と密度と充実感を持っている。そして、41歳までの情報量・経験量・知識量と同じ重さのものが、42歳のときの1年にくるのです。
 ですから、もし高校生、大学生の人がいたら、自殺することは絶対に勧めません。もったいなくて、もったいなくて仕方ありません。長生きした方がいい。今までの人生の総量に相当する情報量と楽しさ、面白さが、これからの1年間に待っています。
 つまり、16年の差というのは単に16年の差ではありません。32歳の人と48歳の人は情報量が2の16乗分違う。
 私は、やっと45歳くらいからそういうことが分かりだして、検証してきたから、48歳でそういう結論になり確信になったのです。
 これをクリスチャンの人に言ったら、「信じるか信じないかでしょうね」と言われました。
 私は、その日、事実として、キリストは、自分の経験から何か教えを編み出したのではない。明らかに宇宙の構造や仕組みを作った人からその構造を聞いていたのだろう、という結論になりました。
 その一言で、神さまという名の存在がいて、神さまから情報をたくさんいただいていたキリストという名の存在を、私は確信せざるを得ませんでした。
 もう1回、キリストの言葉を言います。
 「許すものは許される。許さぬものは許されない。裁くものは裁かれる。裁かぬものは裁かれない」
 キリストは、「何が正しくて、何が正しくない」と言っていません。「私は正しい。私の感覚でこの人を裁けばいい」という考え方は違うようです。

(以上引用)



 自然農法に従事して1年が過ぎた。

 毎日畑や田んぼに出向いて土や作物と触れ合っていると、どうしても「神」というものの存在を感じずにはいられない瞬間に出くわす。

 もちろん僕は特定の宗教団体に所属しているわけではない。僕のいう「神」というのは、くどいようだけれども「自然の摂理」のことであって、偶像崇拝ではない。真実は人にではなく、自分の身の回りにある。

 それにしても、人という生き物は脆弱で、誰もがそれなりに自分が正しいと思っていて、だからこそ他人のやることがとにかく気に食わないのだろうか。

 もちろん僕だってそうだ。あまり自分の立場や存在、自分のやっていることに自信満々というわけではないけれど、やはり、どうしても自我が主になることはある。

 でも、そんなとき僕は思う。

 結局、僕の行動や言葉なんて、僕という狭くて小さな価値観から生まれるだけのものであって、それは、他人にとっての「当たり前」ではない、と。

 許すとか、受け入れるって本当に難しいと思う。

 でも、自然の摂理は、いつだってなにも変わらない。

 だから、日々自然農法を実践することで、感覚や精神、日常生活を、少しでも自然の流れに任せられるように修行中。

 ゆっくりでもいいから、少しずつ進化すればいいと思う。
 
 土も、人も、進化に掛かる時間はあまり変わらない。

 すぐには上手くいかないんだなぁと、日々勉強。




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セミのヌケガラ

   Cicada

 自宅の前に転がっていたセミの抜け殻。抜け殻といっても、幼虫が脱皮したものではなくて、成虫が死んでしまった後の姿。

 「体」とか、「亡骸」なんていう言葉があるけど、人から聞いた話では、体という物質と魂というものはまったく別のもので、体というものは魂が宿る殻のようなものなんだとか。

 魂が空だから、空魂(からだま) = 体

 魂が無くなった殻だから、無殻 = 亡骸

 考え方のひとつとしてとても面白いなぁと思った。

 このセミにしたって、きっとこうなるまでは、長い長い幼虫時代に想いを馳せながら、ミンミンと鳴き尽くしてジジと空を飛んでいたはずだ。でも、時期が来ると、こうして動かなくなり、そのままの姿でその一生を終えていく。

 でも、元々このセミの体を動かしていた「何か」は、一体どこへ消えてしまったのだろうね。よくは分からないけど、すごく不思議だ。

 このセミの抜け殻も、時が立てば、アリなどのエサになったりして分解され、最後はきっと土に帰っていくのだろうか。

 生命って、一体なんなんだろうね。

 生きることと、死ぬこと、生命が今ここにあることと、ないことって、一体なにが違うのだろうね。

 さっきまで意思や法則性をもって動いていたセミという生き物・生命体が、ぱたっとそのままの「形」で動かなくなり、死んでいく。

 でも、死ぬってなんだろう。

 魂なんて、あるのかな。

 あるとすれば、それが肉体から離れたときが「死」と定義すればいいのか。

 

僕にはよく分からないけど、やはり、自然や宇宙の節理・法則というのは、どこまでいっても不思議なことが詰まっているのだろうなぁと思った、夏の日。















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果たして自分は正しいのか

Isso  

 今日は、いつもメールで貴重なお話をお教えくださる独立党員のOさんからいただいた話を転載したいと思う。話は、小林正観氏のものである。
 
 Oさん、いつも本当にありがとうございます。

 最近、Oさんからいただくメールの内容は、ほぼすべて、完全に僕の農業や私生活にリンクしています。不思議なこともあるものですね。

@ 

【ほかの人の事情】

 ある人が地下鉄に乗っていたら、父親と3歳と5歳くらいの子供が乗ってきました。そしたら、この2人の子供が電車の中をグルグル走り回って、ものすごくうるさかったそうです。そして、ほかに乗っている10人くらいも非難の目でこの3人を見ていました。
 その正面に座っている人は、自分の周りに味方がたくさんついている、と思ったようです。そして、ツカツカと立ち上がって目の前の父親に対してこのように言いに行きました。

「あなたは、この子供2人がどれほど騒がしくて、周りに迷惑をかけていることをわかっているのか」
 そしたらこの父親が頭を上げて、「そうですか。子供たちが騒ぎまくっていましたか。暴れまわっていましたか。それはすみませんでした」と言いました。

 この人はさらに激高して言いました。

「こんなに走り回っているのに気づかないわけがないだろう」
 
そしたら、その父親は、「本当に気が付きませんでした。今、私は病院で妻を亡くしてきたところです。子供たちは、その事件の重大さがわからなくて、多分飛び回っていたのだと思います。自分はこれから急いで家に帰って、通夜や告別式の支度をしなければいけません。そして、これからこの子供たちをどうするかと考えていたら、子供たちのことが何も分かりませんでした。子供たちが騒いでいたとしたら大変申し訳なかったです」と言ったそうです。
 それを言いに行ったその男性は、心の底から悔やみました。なぜ事情が分からないのにそんなことを言いに行ったのだろう、と。

 外の人間には、この人がどれほど悲しい思いをしていたのかわかりません。子供たちは騒ぎまわっている。しかし、その人はそんなことを考えられる状況ではありませんでした。
 でも、私たちは、そういう事情を知らないで生きているのです。私のちっぽけな狭い了見の正義感で、この人をなじりに行った。そして、そういう特別な事情があることを聞いて、本当につらい思いをしたのです。
 私たちは、自分の狭い価値観をありとあらゆる人に押し付けようとしない方がいいみたいです。
 
 世の中にはいろいろな事情を抱えていて、その事情の結果として行動している人がたくさんいる。私たちには、その事情がわからないのです。


【食い逃げ】
 
 私は法学部に行ったということもあって、学生のときは法律の勉強をしていました。
 
 食い逃げという犯罪があります。実は、食い逃げには罪一等を減ぜられる情状酌量の余地が内在されているのです。
 それは、ご飯粒を1粒も残さなかった、ということ。そのときに罪一等を減ぜられて情状酌量になる。
 なぜかと言うと、その人は、本当にお腹がすいていたからです。半分しか食べないで半分残して食い逃げをした人は、罪が重い。被害金額は、全部食べた方が大きく、半分しか食べていない方が少ないと思うでしょう。
 
 でも、法律にも血が通っていて、カツ丼や天丼を食べたときに、ご飯粒が1粒も残っていないという状態だったら、この人は罪一等を減ぜられて、多くの場合執行猶予が付くのです。
 そのお腹がすいていたという事情がわかったときに、私たちは少し違う気持ちになると思います。この人は悪い人だと指をさせないのではないでしょうか。
 私たちには、そういうことの一つひとつの事情がわかりません。それだったら、いちいち、この人がどうこうと糾弾しない方がいいようです。
 
 
 
【ある社長】
 
 ある社長が、朝9時が始業なのに9時半に遅れて来た女子従業員を「なぜ遅れたのか」とものすごい勢いで怒りました。
 ところが、この女性は、お母さんが明け方の4時、5時くらいに脳溢血を起こしたため、救急車を呼び入院の手続きをしてきました。帰ってきてほとんど寝ていない状態で、子供の朝食を作り、それを食べさせてクタクタに疲れて駆けつけたのが9時半だったそうです。そういう事情を知らないで社長は怒鳴りまくりました。
 この人は黙って聞いていたそうですが、非常につらい思いをして、その3日か4日後に辞表を出したそうです。
 社長の側からすると、怒鳴ったことが当たり前かも知れません。「9時が始業なのに、なぜ9時半に来るんだ」と言ってかなり怒ったのですが、どうして一人ひとりに事情があるということに目がいかないのでしょう。
 人が何かをするにあたっては、全部事情があるのです。私の価値観・正義感というのは、もしかしたらすごく狭いものかもしれません。その狭い価値観で人を裁くのはやめることにしませんか。
 世の中にはそういう人もきっといるよね、何か事情があるのだろう、と思うことができたら、人間はものすごく心が広くなることができます。
 

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 人にはそれぞれ事情や価値観などがあって、多くの場合、みんなそれに従って動いている。

 だからこそ、例え現象面や現実論で自分が明らかに正しいとしても、相手の事情や状況を酌んだ上で、物事を判断していくことは大切だと思う。

 そもそもこの世の中に、本質的な善悪などはない。だからこそ、まずは自己を否定して、他人を受け入れる寛容さと穏やかさ、そして、暖かさを持つべきなのかなぁと。

 自然界の現象は、全て意味や理由があって起こりうることで、それには完璧な秩序や方程式が埋め込まれている。

 だからこそ、受け入れることや許容することの大切さを、自然を通じて学んでいきたいと、僕は思う。

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食糧自給率が上がったって?

   Hidoku

 日本のカロリーベースの食糧自給率が41%くらいにアップしたそうだ。確かにそれは喜ばしい。でも、41%なんてまだまだ低い数字で、先進諸国に比べれば異常な数字だ。

 それに、表向きになっている食糧自給率のパーセンテージなんて砂上の楼閣のようなもので、絵に描いた餅みたいなものだと思う。

 なぜなら、日本国内で野菜や米、肉類などを生産し、加工食品などを製造したとしても、肥料や農薬、家畜のエサ、食品添加物の原材料などは、ほとんど海外からの輸入に依存しているのが実情で、そのベースになっているのはすべて「原油」というエネルギだ。農業機械だってガソリンや軽油によって動いてる。

 もしも、原油をはじめ、それら依存品の供給がストップした場合、もしかしたら日本の食糧自給率はほぼゼロになるかもしれない。特に、畑などほとんど存在しない都会の中心部などは絶望的じゃないかな、と。

 もちろん、シンカイでは話が決まったことで、今後数年かけて世の中もその方向で動いていくだろうから、僕が1年ほど前に予測していたような最悪の事態はないとは思う(信じたい)。でも、いずれにせよ日本が、日本の国土で野菜や米の自給を120%以上まかなうことは、絶対に必要な国家安全保障であると僕は思っている。

 それには、やっぱり無肥料・無農薬の自然農法しかない。

 だから僕は、今日も、明日も、明後日も、毎日畑で土を育て、自然栽培で野菜を育てる。

 それだけのこと。

 でも、たったそれだけのことが、これからはより大切になる時代なんだと思う。

 化学肥料なんかいらない。有機肥料だっていらない。肥料を使わなければ虫が来ないのだから、農薬なんて一切必要ない。収量だって、慣行栽培に肉薄するほど収穫できる。

 チッソ・リン酸・カリという化学物質で栽培された作物じゃなくて、自然の力で育てられた作物を食べていれば、体の健全さを維持できる。体の健全さが保てれば、心や精神も健全でいられる。

 他には、あまりなにもいらない。

 

 

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2006年1月2日エントリに関するお詫びと謝罪

 当ブログ、2006年1月2日エントリの記事「動物病院」に関して、野村潤一郎先生ご本人から、削除のご指摘と事情説明をいただいたため、該当エントリを削除致しました。

 野村先生の診療や動物への想いに対し誤解を招く内容、また、主観的で、不適切な表現をしてしまったことを深くお詫び申し上げます。

 また、野村ご夫妻及び関係者の皆様にご不快な思いとご迷惑をおかけしたことを、謝罪させていただきます。

 該当記事はもちろん、それ以外に不適切な表現が含まれる過去のエントリを全て削除する共に、今後、あのような内容のエントリを行わないことをお約束致します。

 本当に申し訳ありませんでした。

 

 

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スズメの手当て

 今日、どうしてか分からないんだけど、しっかりとカギをかけて戸締りをしたはずの、僕の畑の片隅にある掘っ立て小屋に、小さなスズメが1羽、迷いこんでいた。 

 保管している米や豆でも食べにきたのかと思って追い出そうとしたんだけど、よく見たらそのスズメ、すごく弱ってた。

 バタバタと羽を羽ばたかせても飛べないくらいに弱ってた。

 助けてやろうとしてたら、小屋の中をぴょんぴょん跳ねて逃げ回るから、なかなかつかまらない。

 でも、逃げ回るうちに力つきたのか、諦めたのか、弱った体をようやくつかませてくれた。

 温かかった。

 消えかかる命の不思議な温かさ。

 ぱちくりとした目がとても可愛かった。

 このままキュッと握りしめてしまえば簡単に殺せてしまうほどに、はかない命。

 でもスズメは、慌てる様子もなく、ジタバタともせず、じっと僕の手に掴まれて、不思議そうな目で僕を見つめてくれた。

 心なしか、安心した様子で僕の手の中に納まってくれている。

 僕は、人間にはよく嫌われるけど、動物には結構好かれるのだ(笑) 

 とりあえず、このまま放置したら死んじゃいそうだったから、10分ほど、掴んだままの状態で簡単に手当てをしてあげた。

 もちろん治療といっても、僕はなにもしてないけれど、スズメは元気になって、うれしそうに空に飛び立っていった。

 まだヨロヨロした飛び方だったけれど、あの調子ならもう大丈夫。

 なんとなく、心が安らいだ。

 僕も、少しだけ元気になった。

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