食・健康・医療

ウンチは入れるな!

 以下、僕の師匠であられる、健康かむかむ塾 塾長の斉藤一治氏のブログから引用する。

健康かむかむ塾:「いつでも、死んでやる」

 「いつでも、死んでやる」と言う気概が重要で、これがあれば、核など何の威力も無くなる。日本人全員が、この気概を持っていれば、核を投下する意味が無くなってしまう。

 日本人が一人もいない日本列島など占領・支配する意味が無くなる。

 「核」という「物質」に対抗するには、そのような気概・心・精神を持つしかない。

 玄米食で病気を治し、長生きしたところで、それだけでは何の意味もない。「いのち根性が汚い」だけだ。

 「奴隷」が玄米食で健康になり、長生きして喜ぶのは「ご主人様」だけだ。

 少なくともマクロビオティックの創始者である桜沢如一先生は「ご主人様」をしっかと見据え、厳しく糾弾していた。

 その末裔である人たちは、その本質的な問題には、決して触れようとしない。

「マクロビオティック」普及・商いの故に。

(以上、引用終了)

 というわけで、以前「僕はマクロではない」というエントリをしたことがあるんだけれど、マクロビオティックを生み出した桜沢如一氏は、僕にとんでもない影響を与えた人物である。そして、氏の生み出した無双原理という考え方もまた、現時点での僕を形作る要素となって、僕の心に大きく君臨している。

 しかし、マクロビオティック・無双原理は、いうなれば自然界の一面を捉えるための、一つの指標であると僕は考えている。

 そもそもマクロビオティックというものが、食事理論などという誤った認識をされはじめて、一体どれくらいの時間が経ったのだろう。

 マクロは、決して食事理論などという安っぽいものじゃない。

 桜沢如一という人の、ある意味では生き様だと、僕は勝手に捉えてる。でも、その生き様は、一人の人間の生き様に留まることなく、宇宙の原理、自然の摂理を紐解いた。

 ところが、いつのまにか「マクロビオティック」は、一部の営利団体の金儲けの道具となり、まるで藤子・F・不二夫が死んだ後のドラえもんのような扱いになってしまった。

 ナントカジャパンとか、○○とか、フタを開けてみても、そこに本質はなかった。

 ユダヤの「ユ」の字もありゃしない。

 世の中的に安全だということになっているだけの有機野菜を売って、お金という実態のない幻想を蓄積するだけ。

 なにごとも理論や学問だけに集約してしまっては終わりだというのは、僕の考え。

 死に対して恐怖した時点で、全ては負け。これも僕の考え。

 もちろん、マクロビオティックや玄米菜食自体は、悪いことじゃないと思うし、僕もそれがあったからこそ、今の健康な体がある。玄米は今でも僕にとっての最大のパワーの源だ。それに、50年以上も昔に、量子力学や陰陽から、常温核融合の可能性を見出していた桜沢氏の洞察力は、想像するに難くない。

 問題は、氏の編み出した(?)マクロビオティックという哲学理論の意味合いが、完全に捻じ曲げられた形で、世に蔓延しているということ。

 マクロビオティックは、玄米菜食のことだと思われている。

 そして、土壌にうんちやおしっこをぶん撒く有機栽培のものが最高に安全だと思わせるような、世間の誘導。

 「まくろ」と呼ばれる食事理論の多くは、うんちやおしっこで作られた野菜がいいとされている。

 でも、うんちやおしっこが、他のなによりも土壌を汚染する害毒だということは、あまり知られていない。

 そして、畑や土に、うんちやおしっこを撒かずとも、立派で美味しい米や野菜を作ることができるということも、あまり知られていない。

 有機サイコー運動。

 火付け役は、アシュケナージユダヤハザールのみなさん。

 つまり、まだ現時点での世の中が最高だと評するものは、最高じゃない。

 なぜならそれが、彼らの作り出した世の中だから。

 それこそが、事の本質。

 本質に目を向けることの難しさ。

 桜沢氏の想いは、一体どこへ。

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健康診断

 部屋の掃除をしてたら、随分前に受けた健康診断の結果おしらせ表が出てきた。

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 前回というのが平成18年の4月だから、大阪で、地獄のような環境で三ヶ月住み込みの仕事をすることになる直前の診断結果だ。つまり、★阿修羅♪を知る前のことで、当然千島医論も知らなければ、玄米菜食や自然栽培、ユダヤ権力やリチャード・コシミズさんのことも、全く知らないころ。

 で、今回というのはその翌年。断食や、一日一食の半断食を繰り返しながらハーモニック・トラストの自然栽培玄米菜食に切り替えて、8ヶ月くらいが経った頃。

 今思うと、よくもまぁあんなことしてたなぁと思う今日この頃。やり始めたことは徹底的に最後までやり抜かなければ気がすまない性格の僕としては当然の結果なのだろうけど、今もう一度あの生活をやれといわれたら、もしかしたらちょっと無理かもしれない。それくらい当時の僕の食生活はストイックな方向に締め上げていた。もちろんあの時期、あの食生活があったからこそ今があるわけで、僕が激やせした約1年間は、とにかく自分との戦いだった。恐らく僕は、あの1年間で、それまで培ってきた自分をぶっ殺すことに成功したんだと思う。

 そんな僕の今の体重は、丁度60キロ。体脂肪率は約12%~15%ほどを行ったり来たりしている状態。

 冬はどうしても体温の関係で食べる量が増えるから、当然体重も増えるんだけど、59.9キロを越えたのは本当に久しぶり。痩せ切ってからは初じゃなかろうか。

 今の僕の食生活は、1日2食。内容も当時と特別変わらず、自然栽培の米と野菜。食べる量は少し増えたかな。

 最近強く思うのは、結局食べ物が安全なのは当たり前で、人間の体の健全さというのは、それをベースにこそすれど、直接的な因果関係はあまり強くないんじゃないかということ。

 もちろん食品添加物とか化学物質、慣行栽培や有機栽培のものがいいと言っているわけじゃない。ただ、以前にも何度か書いたように、全てはある側面では多様性であるし、また、無肥料無農薬の作物は、広い視野で見ればなにも特別なことじゃなくて、あって当たり前のもの。それを生活に取り入れてもなにも変化や改善のない人は、結局心が汚れているわけで、つまり自我の塊がどこかにつっかえているのだと僕は考える。

 人間はなにも体だけでできているわけじゃない。大きく分けると、精神、魂、肉体の三つが合わさって出来ているから、どれだけ当たり前のものを食べて、それを血液に変えようと、その血液の循環やらなんやらがうまくいかなければ意味がない。その循環を司るのは「気」。精神と魂の部分だ。

 だから最終的に求められるのは、全てを自然に向けること。食べ物だけが自然の力で生み出されたものでも、人間性に「自我」という不自然なものを抱え込んでいれば必ず病気になるし、治るものも治らない。

 そしてそういう人に限って、自分の内にある問題の原因を、なにか外に求め、「あれが悪い、これが悪い」と言っているうちに、なにも変わらずにお迎えがきてさようなら~という感じ。

 世の中に不要なものは何一つとして無いけれど、反面、強すぎる自我だけは、やはりいらないのではないだろうかと思ったりもするのである。

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病気になる人の心

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(自然の菌がびっしりとついた麹米)

 「こんなことを言うとキザったらしいかもしれないけど、私は宇宙というのは愛だと思っているんです。経済学にしても、経営学にしても、医学にしても、科学にしても、そういった法則から外れてしまったものは、いつか、みんな底からまるごとひっくり返されてしまうときがくるような気がしてならないんです。

 寛容力があって初めて、免疫力というものが生まれてくる。多様性の中から生まれたものの生命力はとんでもなく強いんです。色々なものを受け入れ、認めていくことで、本当の意味での心や愛というものが育つのではないでしょうか」

 古い歴史を持つ、とある酒蔵の当主の方の言葉。

 僕にとっての愛というのは、なにかを気がつかせてくれるメッセージや信号で、それらは全て自然に生まれる力のこと。つまり、やはりここでも宇宙や量子に繋がってくる。

 身の回りに起こる全てのことは、自分になにかを気がつかせるためのメッセージで、必ず意味がある。でも、その意味を正確に感じ取ることができない人は、気がつかないままに死んでいく。

 自然を捉える感性が有るか無いか。たったそれだけのことが、道を大きく分けてしまう。

 今の世の中、排除の論理が原理原則。

 人はいつしか、全てを要るものと要らないものに分別するようになり、要らないものは排除することが当たり前、正義とすらなってしまった。

 僕らの生かされている世界において、要るものと要らないものを人間が判断することなど出来ないはずなのに、人間はそれがさも正しいかのように分別をやめることなく、排除し続けてきた。

 その結果、現代社会を取り巻く複雑な問題が噴出してきている。

 日本酒造りにも同じことがいえるのだという。

 米と水、空気中を漂う菌があればできるのが日本酒なのに、今の酒造りは、菌を有用菌と雑菌に分けて、良いとされるものだけを人工的に培養して、必要ないと判断したものは全て悪として排除されてきた。その結果、安価で大量にお酒を生産することができるようになった反面、古来から日本という国の伝統として伝え繋がれてきた文化は消えていく。

 全て、明治政府以降。

 ありとあらゆるもの、八百万の神と共存して生きてきた日本民族の伝統は、全てあの時代を境に消えていった。人と自然界の接点が消えていった。

 もちろん全て必要があって起こったこと。だから、今、そういったものが少しずつではあっても元に戻ろうとする現象が現れている。

 ただ、それを取り戻すために必要なのは、全てをありのままに受け入れる人の心。なぜなら、元に戻すというのは、自然との接点を復帰させることなのだから、今まで排除の論理で除外していたものの全てが、実は意味や役割をもって存在していたものだというのを人それぞれが正確に理解していかなければいけない。

 NWOにしても、世界政府にしても、国際主義にしても、多様性を奪い去って、全て単一化・画一化するという排除の論理が一貫して流れているじゃない。だから世の中、こういう顛末になっているのだと思う。

 排除はなにも生まない。

 排除するには、分別するという判断が伴う。

 人間の判断である分別は、自然には本来あってはいけないもの。

 米と水を放っておけば自然と調和して出来る酒も、なにか(菌)を排除すれば人工的なものに頼らざるを得ない。

 そして、分別、排除しようとするのは、いつでも、人の心。自我。

 わがまま=我侭っていう言葉があるよね。

 自分の我の言うが侭。

 自分を全面に押し出すということは、例えば自分以外の他人を排除することに繋がる。そうすると、当然人工的なものに頼らざるを得ない状況がやってくる。結果的に病気になる。

 「お前みたいなオレオレ系なヤツは、自然界にはいれてやんないよ」

 かみさまはきっとそう言うのだろう。

 他人を殺してばっかりで、自分を殺せない人は、やがて自分に殺される。

 きっと人間の体を取り巻く問題には、病気とか、薬とか、食とか、そんなものを超越した精神や心の要素が起因することがあるのだと思う。

 全ての原因は自我。

 それを捨てられるのは、自分で何かに気がつくことのできる人だけ。

 誰かになにかを言われたり、教わったりして、自我を修正できるようになる人は、絶対にいない。

 全て自分次第。

 自分で気がつかなければ、なにも変わらない。  

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5年、生きられる

 緒方拳さんが「肝がん」で亡くなったんだそうだ。

名優・緒方拳さん71歳壮絶がん死

命をかけた役者人生全う

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2008100802000157.html

 緒形さんは2000年から慢性肝炎を患っており、5年前にがんに悪化した。それでも「仕事関係の人には絶対に言うな」と、家族に“かん口令”を敷き、体調が悪くなった時だけこっそりと病院に通ったが、最後まで療養入院したことはなかったという。検査や食事療法を受けても、手術に踏み切ることもなかった。

 まだいまいちココログの使い方が分かってなくて(というか分かろうとする時間がまだ取れてない)どうすれば上手くリンクが貼れるのか知らないのでアドレスベタ貼り。

 まぁ、つまり緒方さんはガン治療に専念せず、5年間生きたということと捉えていいのかな。

 ものすごい元気だったのにガンと診断されて、まじめに入院して、たったの三ヶ月で逝ってしまった友人を思うと、今でも胸が痛い。あのときの僕は、彼になにもしてやれなかった。無力だった。もちろん、今でも無力。

 ガンに悪化した後5年間生き長らえた緒方さんも、生活習慣を改善すれば、きっとまだまだ生きられたのにな、とも思う。

 ガンは別に、怖くない。

 原因が分かって、それを取り除く努力さえ怠らなければ、決して怖くない。

 というか、病気なんてそもそも怖いものじゃないし、そんなものそもそも存在すらしない。

 あるのは自然界と、それに従事する人間の身体と精神。認識。食。農業。

 こころ。

 作り出されているだけ。

 病気も、それに対する恐怖も。

 全て作り出されてる。

 なにに?

 空気呪縛。

 常識。

 さあ。

 みんなで解こう、「ガン呪縛」。

 なんてね。

(それにしても↓のスポンサーリンク困ったな・・・・なんだか僕が回し者みたいだwwwwwwwwwwww。有料コース申し込みしてみようかな)

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僕はマクロか?

最近ふと、「僕はマクロビオテックなのかな?」と考えたことがあったんだけど、恐らく僕はマクロビオテックではないだろうという結論に到った。

 というのも、僕が今いる「ここ」に辿り着くに到った過程での約半年間は、確かに玄米菜食で、小食で、砂糖も全く取らず、必要があれば長期間の断食も行った。

 ただ、よくよく考えてみると僕は「マクロビオテック」という存在を知ったことで玄米菜食を始めたわけじゃない。以前も何度か書いてきたけれど、僕の全ての始まりは「★阿修羅♪」であって、そこで千島喜久雄という人の存在を知っったからこそ今の僕がある。

 もちろんそこに到るまでにも、類稀なる貴重な出会いや経験を重ねていたからこそ、それを自分の腹に落とすことが出来たことは間違いない。けれどもやはりあのタイミングで★阿修羅♪と出会い、千島喜久雄の存在を知れたことは、僕にとっては本当に大きな意味があったのだと思う。

 ただ、繰り返しにはなるけれど、僕が「マクロビオテック」というものの存在を知ったのは、玄米菜食を始めた後のことだし、そういう意味ではやはり僕はマクロではないと思う。

 「あ、僕の今の食生活って、マクロビオテックっていうんだ。そんでもって、マクロビオテックってのはこういう理論や理屈に基づいた思想なんだ。へぇ」

 当時の僕が思ってたことなんてこの程度。

 僕は千島医論や量子力学から頂戴したヒントを元に、自分なりに必要性があると判断した結果、導き出した結論がたまたま玄米菜食だっただけの話。そこからなぜか、農薬や化学肥料の怖さに行き着き自然栽培という農法を知り、薬品産業や医療業界、石油産業や穀物メジャの存在に興味を持った結果、ユダヤ国際金融資本の存在に辿り着き、みんなひっくるめて繋がってしまったというだけのこと。

 今では砂糖も口にするし、必要があれば肉も魚も酒も取り入れる。

 これもつい先日も書いたことだけれど、僕はなにかを勉強したり、感じたり、考えたりすることで、そこから沢山のヒントというパズルピースを収穫することはあっても、その対象に傾倒することは絶対にない。

 なぜなら、何かに傾倒するということは僕にとって、自分自ら枠組みの中に飛び込んで視野を狭めることにしかならないからだ。

 「結局のところ、決め込んだら何もできなくなるよ。何も決めないからこそ、なんだってできるんだ。枠を作っちゃダメ。」

 これは先日、とある自然農法家の方からいただいた言葉なんだけど、今まで僕が出会ってきたホンモノの人たちは、言い方や方法論は違っても、おっしゃっていること・実践されていることの結論は皆、大体同じ。

 もちろん、なんでもかんでも枠をとっぱらって自由にすればいいわけではないし、そんなことは百も承知で書いている。ただ、世の中に存在する絶対的なものは宇宙と自然界だけで、それ以外のものは、ただただ人間が作り出して、あると思い込んでいるだけのものばかり。それは、マクロビオテックだろうがなんだろうが同じこと。全て人間が考え、感じ、解釈したことを体系的なものとして確立しただけのことであって、結局それは「枠」に過ぎない。

 もちろん僕は桜沢如一氏を否定する気は一切ないし、むしろ僕はPUを世に残した氏の功績はとてつもなく大きなものだと思っている。(マクロよりもPUの方が僕にとっては大きな存在)

 今僕が言いたいことというのは、なにが間違っているとかどうだとか、そんなことじゃなくて、「物事と対峙して、それと向き合うためには、常に全体像とそれらの流動的な流れを読み解く必要があるのだから、なにか一つのことに囚われるのではなく、視野や価値観、考え方なんかを、もっともっと幅広くもって、穏やかに、二分化せず、素直に、ありのままに受け入れていくべきなんじゃないかな」ということ。

 肥料や農薬を使わないものだけの玄米菜食は確かに無茶苦茶身体に効果があるし、色々な側面から見ても本当に必要性のあることだと思う。ただしそれを「マクロ」だとか「ベジタリアン」だとか、人間の言葉で解釈するのではなくて、もっと大きな視野で大観的に、沢山の要素から沢山のことを感じ取っていくことのほうが必要なんだと思う。

 全ては自然界が作り出して決めていることなのだから、人間の言葉や概念が作り出す枠や解釈なんて、さほどの意味はない。

 それよりもむしろ、人間の言葉や価値観では到底図りきれない、人の心や精神のほうが、もっともっと難しくて、大切なこと。

 何度も書くけれど、全てはいつだって皆必ず繋がっていて、しかもたった今も、明日も、明後日も、何億年後も、常に流動的に動いている。だから、人間風情がなにかを枠組みやルールを決めたところで、それらは周りの環境や条件なんかで、あっという間に脆くも崩れ去ってしまうささやかなこと。そんなことに一々執着する必要は、僕はないと思う。

 もちろん、沢山、大切で、必要なことはある。けれどもそこは二重性。

 必要であって、必要でない。

 その二重性の本質を見極められた人だけが、穏やかな心と、本当のことを掴み取って、ここではないどこかへ行けるのだと思う。

 僕は、マクロであってマクロでない。

 結局、言葉や名称、定義や理屈なんて、人間の「解釈」でしかない。

 そして、だからこそ、楽しいんだと思う。

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アスパルテーム

たった今MSNのメッセンジャを立ち上げて、NewsTodayのtopを飾っていたニュース。

◆ 倖田來未 「パンパン」女子高生からコーラでダイエット? ◆

今大ブームの倖田うんたらであるが、別に全然エロくもカッコヨクもない。

コーラでダイエットねぇ・・・・これすごい広告手法だと思う。
いかにもダイエットコーラを飲めばこの女みたいにやせられますよ的な文章のニュアンス。これは飲む人がダイエットできるんじゃなくて、普通のコーラが砂糖を使わずにアスパルテームという人工甘味料をつかってダイエットしたからダイエットコーラなんじゃなかったの?
ダイエットしたのはコーラ自体だ。

それに僕はダイエット系飲料やガムに入っている、アスパルテームという甘味料がどういうものかっていう情報をいくつか持っていたので、「あ~あ、こういう下らん広告媒体を見て、世の中のバカ女どもはアスパルテームがんがん摂取して死んでいくんだろうなぁ・・・」などと思ってしまったわけである。

じゃあ、このアスパルテームがどうして危険なモノなのかを事細かに紹介しているサイトをご紹介する。

◆ 安心?食べ物情報 ◆

ここのサイトを開いたら、「Ctrl+F」を使って「アスパルテーム」と検索してみてほしい。
あれ・・・・なんかこのサイト、アスパルテームは安全て書いてあるな・・・

(以下引用)
アスパルテームは体内に取り込まれるとほぼ瞬時に2つのアミノ酸とメタノールとに分解されます。もちろんアミノ酸は無害、メタノールには毒性がないでもありませんが、アスパルテーム分子全体に占める割合いが少ないため、普通に調味料として使う分には何の問題もない量です(この程度のメタノールは他の食品にも含まれており、体は問題なくこれを処理して無害化しています)。 中略・・・ここにも書かれていますが、アスパルテームは最もよく調べられた添加物の一つで、安全であるというデータは山ほどありますが、有害であるというデータはありません。 中略・・・・大人でもダイエットコーラを飲むというのはどんなものなのでしょうか。水でも飲んでおけよ、と思います。私はアスパルテームなどの甘味料を推薦するものではありません。しかし、ありもしない害をいいたてる人たちはいったいどんな利益があってそうしているのか、改めて疑問に思います。

 こういう人たちは、何か不安を煽るものがあればとびつく習性があるのですよね。ネット上にはそういうウソがあふれていますので、だまされないようにご注意ください。


(以上引用)

ほほ~~、アスパルテームは水を飲むのと同じくらい安全なのかぁそりゃぁ知らなかったなワッハッハ。こりゃすごい情報だ。「アスパルテームが有害だというデータはありません」・「ネットにはウソが溢れているので騙されてはいけません」と来たもんだ。危ない危ない、僕もこのウソの情報に騙されてアスパルテームをガンガン摂取して、アメリカの利権の為に死んでいくところだったよー。ウソの情報が沢山溢れているインターネットを見るときは気をつけないとねと。

「危険だというデータはない」だと?冗談じゃない。

◆ アスパルテームに関しての記載① ◆
◆ アスパルテームに関しての記載② ◆

どちらの情報も、データとしてみれば公平だ。
でも最終的にどちらの情報が正しいのかを判断するのは個人個人によるものだから、別に僕は後者のデータを本当だなんていわない。でも少なくとも僕はアスパルテームを摂取しない。なぜなら僕は、安全なモノ以外を毛嫌いしているわけではなくて、どこかの誰かの私利私欲の為に騙されて死んでいくのだけはゴメンだからだ。だから良くないものだと分かっていても続けていることは沢山ある。それは、「悪いと分かった上での行為」として自分で選別してやっていることだから、誰かに騙されて死んでいくのとは意味合いが違ってくると思っている。自分で選んだ方法で死んでしまうのなら、それはそれで本望なのだ。

まぁ、とにかく「ネットにはウソが溢れている」らしいから気をつけないとすぐに誰かに命を奪われることは間違いない。「アスパルテームが危険だというデータはない」なんていうウソの情報もあるくらいだし、たとえ危険だというデータが本当にないとしても、データを改ざんすることくらい朝飯前なヤツらは腐るほどいるということを忘れてはいけない。

連休明けから、まーた怪しいエントリをしてみました|-`)

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コンビニ弁当

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ラビさん、あったよあった。
色々調べればあるもんですね。

◆ 恐怖のコンビニ弁当 ◆

ラビさんが歳なんじゃなくて、やっぱりこういうことっすよ、きっと。
日本を動かすシステムが歳とってしまっただけっす。

きっこさんの日記も凄いけど、ここ-★阿修羅♪も凄い。その中のリンクにこんなのもあった。

◆ 家畜動物の過酷な一生 ◆

今日の今日までベジタリアンっていう言葉の解釈を間違えていたようだ。
自分で犬を飼っている身としては、牛もブタもニワトリも、僕にとっては犬と同じ動物なんだよな・・
なんだかせつない。

食べることが健康なんてのはきっと妄想なんじゃないかな。
だって、人間はとにかく無駄なカロリーを取り過ぎる生き物だから。

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パンは安全?

200509206121f3ba.jpg食品ネタをもう一つ。

◆ パンは安全? ◆

>>一方、イーストフードとはその名のとおり、イーストが食べるエサで、塩化アンモニウム、炭酸カルシウム、リン酸塩など13品目の合成添加物から4~5品目を混ぜてつくられる化学物質。塩化アンモニウムは毒性が強く、大量に食べると吐き気や嘔吐などを起こす可能性があるといわれている。

 なぜイースト+イーストフードなのかというと、短時間で大量のパンを発酵させることができるため、少ない原料でもフワフワしたパンを一度にたくさん作れる。同じサイズの天然酵母とイーストフードのパンの重さを測ると相当な違いが出る。それだけイーストフードのパンは空気が多いということなのだ。それに化学物質なので発酵の度合いの予測ができるため、機械で製造するのに品質や時間などが管理しやすく、均質なパンを大量生産しやすい。


危険なのは牛肉だけじゃない。
確かに狂牛病は致死率100%で避けようがないものであるが、癌だって発生しないにこしたことはない。イーストフードに使われている塩化アンモニウムは発ガン性NO.1の危険な薬品なのだ。

◆ JECFA評価A1ランク ◆

な~んてものもあるみたいだけど、最近の建築偽装問題や、狂肉輸入再開問題を見れば、国が定めたルールがなんの意味もないマヤカシであることは明らかだろう。国民一人一人の安全性よりも、多大な政治献金を送ってくれるメーカの生産効率のほうが、国や政府や政治家にとっては最優先項目なのだ。だから毒性がある添加物だと知っていても、献金を一杯くれるメーカのためだったら、それを平気で隠蔽して、使用認可を出す。それが日本であって、日本の与党だ。バカバカしい。

もう、「国が定めたルールや規定なら安心」なんていう時代はとっくのとうに終わりを迎えている。自分を守るのは自分しかいないわけだ。

だから僕は、国から癌をもらうのは嫌なのでイーストフードの入っているパンは食べない。
ウソだと思うなら食べつづければいいだけのオハナシ。

そして今日も、世の中のルールは金で作られている。

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P E T E N

今や、お茶の間で見ない日はないのでは?
というくらい人気になってしまった人である。
昔から母はこの人の書く本を読んでおり、なにかあると必ずそれを参考に僕にアドバイスをしてくる、というなんとも言えない微妙な要素を含んだ家庭であった。
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僕もこの人の番組だけは、なかなか面白いので視る機会がある。
まぁ、それなりに言っていることは間違いではないし
そこそこ勉強になることもしばしば。

しかし、矛盾していることを平気な顔で言うこともしばしばあるこの人。
少し前の話になるのだが、今日の日本に、なぜここまで花粉症が大流行しているのかという話題について彼女はこう言っていた。

「中国の医学(漢方学?)というのは人間の体を大きく分けて胸から上と下に分ける。そして、目下の人間を大切にしない人間は、胸から下を悪くして足を骨折したり大腸などの臓器を悪くする。また、目上の人間を大切にしない人間は、胸から上を悪くして、心臓の病気にかかったり、脳の病気にかかったりする。だから今の日本人は目上の人を大事にしない人が多いから、花粉症にかかる人が増えているわけ。昔の人は花粉症になんかかからなかった。だから、心をよくすれば必ず治りますっ」

はて・・・・?・・・ちょっと待てよ、と。
今日本にココまで花粉症が蔓延しているのは、もちろんご承知の通りスギ花粉が原因である。しかしこの人の言う昔の人というのがどれくらい昔の人を指しているのかは分からないが、少なくとも戦後すぐの日本に、今のような数の杉は生えていなかったはずだ。
戦後当時、安価で栽培しやすく、需要の多かった杉の木を、国が経済政策として植林し始めてから、日本に杉が増え始めたのだ。しかし、現在では杉よりも安価で手に入るパイプ材が沢山登場してしまったために、杉を伐採する必要がなくなってしまった。その結果、今日本の到る所に杉が乱立しているだけであって、その前には日本国土に杉なんて今ほどは存在していなかったのである。

それを知っていての発言なのだろうか?いや、知っているならこんな胡散臭い発言はできるはず無い。番組を見ていると、あまりにも大雑把でいい加減な発言が続くので、おかしいなと思い、少しだけ彼女について調べてみた。
すると・・・・出るわ出るわ、余罪ゴロゴロである。その中で一番分かりやすいサイトをリンク。

細木数子の実態

まぁ、所詮テレビに出てる人間なんて全て偽者なので
「こんなものかな」という感想。

天才はテレビなんかには自分を露出しないのである。

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