ウンチは入れるな!
以下、僕の師匠であられる、健康かむかむ塾 塾長の斉藤一治氏のブログから引用する。
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「いつでも、死んでやる」と言う気概が重要で、これがあれば、核など何の威力も無くなる。日本人全員が、この気概を持っていれば、核を投下する意味が無くなってしまう。
日本人が一人もいない日本列島など占領・支配する意味が無くなる。
「核」という「物質」に対抗するには、そのような気概・心・精神を持つしかない。
玄米食で病気を治し、長生きしたところで、それだけでは何の意味もない。「いのち根性が汚い」だけだ。
「奴隷」が玄米食で健康になり、長生きして喜ぶのは「ご主人様」だけだ。
少なくともマクロビオティックの創始者である桜沢如一先生は「ご主人様」をしっかと見据え、厳しく糾弾していた。
その末裔である人たちは、その本質的な問題には、決して触れようとしない。
「マクロビオティック」普及・商いの故に。
(以上、引用終了)
というわけで、以前「僕はマクロではない」というエントリをしたことがあるんだけれど、マクロビオティックを生み出した桜沢如一氏は、僕にとんでもない影響を与えた人物である。そして、氏の生み出した無双原理という考え方もまた、現時点での僕を形作る要素となって、僕の心に大きく君臨している。
しかし、マクロビオティック・無双原理は、いうなれば自然界の一面を捉えるための、一つの指標であると僕は考えている。
そもそもマクロビオティックというものが、食事理論などという誤った認識をされはじめて、一体どれくらいの時間が経ったのだろう。
マクロは、決して食事理論などという安っぽいものじゃない。
桜沢如一という人の、ある意味では生き様だと、僕は勝手に捉えてる。でも、その生き様は、一人の人間の生き様に留まることなく、宇宙の原理、自然の摂理を紐解いた。
ところが、いつのまにか「マクロビオティック」は、一部の営利団体の金儲けの道具となり、まるで藤子・F・不二夫が死んだ後のドラえもんのような扱いになってしまった。
ナントカジャパンとか、○○とか、フタを開けてみても、そこに本質はなかった。
ユダヤの「ユ」の字もありゃしない。
世の中的に安全だということになっているだけの有機野菜を売って、お金という実態のない幻想を蓄積するだけ。
なにごとも理論や学問だけに集約してしまっては終わりだというのは、僕の考え。
死に対して恐怖した時点で、全ては負け。これも僕の考え。
もちろん、マクロビオティックや玄米菜食自体は、悪いことじゃないと思うし、僕もそれがあったからこそ、今の健康な体がある。玄米は今でも僕にとっての最大のパワーの源だ。それに、50年以上も昔に、量子力学や陰陽から、常温核融合の可能性を見出していた桜沢氏の洞察力は、想像するに難くない。
問題は、氏の編み出した(?)マクロビオティックという哲学理論の意味合いが、完全に捻じ曲げられた形で、世に蔓延しているということ。
マクロビオティックは、玄米菜食のことだと思われている。
そして、土壌にうんちやおしっこをぶん撒く有機栽培のものが最高に安全だと思わせるような、世間の誘導。
「まくろ」と呼ばれる食事理論の多くは、うんちやおしっこで作られた野菜がいいとされている。
でも、うんちやおしっこが、他のなによりも土壌を汚染する害毒だということは、あまり知られていない。
そして、畑や土に、うんちやおしっこを撒かずとも、立派で美味しい米や野菜を作ることができるということも、あまり知られていない。
有機サイコー運動。
火付け役は、アシュケナージユダヤハザールのみなさん。
つまり、まだ現時点での世の中が最高だと評するものは、最高じゃない。
なぜならそれが、彼らの作り出した世の中だから。
それこそが、事の本質。
本質に目を向けることの難しさ。
桜沢氏の想いは、一体どこへ。







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